そういえばマルクスの市場の……

 半覚醒的な意識のなかで、なぜマルクスは市場を理論的に価値創出の内在に繰り込んだのかと考えていた。私はマルクスという人の思考方法はヘーゲルとそれほど変わらないからそういう思考の癖みたいなものというか、概念論特有の形式ではないかとなんとなく思っていたのだが、がというのは、ふと、それは類の意識なんだと思った。類の意識が仮想・理想の市場を前提としているからマルクスはああいう理路を辿ったのかもしれない。労働が自然に関わるというとき、この労働は一般的にはなんとなく個体に想定され、そして労働力というときはそれが個体ゆえに労働者という個体の本質疎外のように理解されがちだが、というかそういう理解でまずいわけでもないが、マルクスはこうしたスキームでも類の意識を想定していのではないだろうか。労働が自然に関わる共同性というのは、一見分離した構成のように見えるが労働の内在性に共同性を見ていたのではないか。そしてその共同性の意識のさらに内在に価値を交換する無意識的な理想的な市場を想定したのではないかな。