本を読む数が減るのは痛い

 っていうのは30代後半からはあるかな。
 ⇒切込隊長BLOG(ブログ): プライベート玉突き問題
 若干文脈は違うけど。
 私は30歳まではなんとかアカデミズムにしがみつけないかなと悪戦苦闘していたので20代後半はまだ専門分野とか論文とか取り寄せて読んでいた。あのころの取り寄せの苦労を思うと今のネットの世界は天国ともいえるかもしれないけど、その分、みんながブーストして底上げになっているから、その程度の知的努力ではアカデミズムの差異が出ない時代でもあるんだろうけど。
 20代なかでいったん学問に小休止を打たざるを得なくなって、あれ、もしかして俺って自由に本読んでいいのかとびっくらこいたことがある。そのころ、吉本隆明とか読み始めた。考えてみると、学生時代は文庫・新書か図書館くらいで単行本は買わなかったかな(あるいは大衆)。吉本隆明とか文庫にほぼなかったし。反面、小林秀雄は十分あったし、世界文学なんかもあった(訳がひどかったけど)。
 アカデミズム的な世界にピリオドを打ったのは父親が死んでからかな。それまでも実家にいつかなかったけど、東京を抜け出した。一人暮らしの奇妙なせわしなさ(当時はコンビニとか今ほどじゃないし地方だし)と退屈さとそれなりにネットはあったみたいななかで、よくお料理をした。まあ、それは以前書いた。
 たぶんその地で適当に埋没していくだろうと思った。結局埋没はしているんだけど、紆余曲折がいろいろあった。今思うと若いって無謀なものだな。
 話を戻して、自分のカネで好き勝手に本を読むようになって、なんというのか、ああ俺、堕落したなとか思うようにもなった。その内、知的な興味はどんどんぐちゃぐちゃになっていった。気が付くと随分アカデミックな世界からも離れたなと、と、ふと思ったけど、そのころ、実は第二のアカデミズムに近い分野に取り組んでいたか、半導体設計。なんだかなあ。
 そしてさらに時が流れた。そういえば、思い返すとときおりまとまった時間を作って、学びに行ったりもしたか。なんか思い出が多すぎ。
 まとまんないや。
 本っていうのは読む数の問題ではないとはいえるし、今の自分となっては、道元とかちまちま読むのが甘露のごとくでもあるけど。そこにまだ落ち着いてないな。