自分が変わることにどう自分が気が付くか

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いま,自分自身のものの考え方や自分を取り巻くアレやコレやのとらえ方がずいぶんと変わったことに気づくし,今更ながらに驚く。こだわっていたことやこれだけは譲れないなんて思っていたことが,簡単に土俵を割ってしまっていたりする。

 うまく言えないのだけど。
 自分探しや自己啓発系の人というのがいて、「自分は変わる」「自分は変わった」とかいうのだけど、傍から見ていると、苺大福好きがイチゴミルフィーユ好きに変わったみたいな、で、というのが多い。そして、この人たちの特徴なんだけど、変わる・変わった自分の確証がほしくて行動しているんだと見ているとたいていそのフレームに収まる。ちょっと冷たい言い方だけど、自己変革系の人は、ちょっと避けているほうが無難。
 自分が変わるというのは、まさに、感性・思考のコアの部分が変わるということなので、自覚的にはとても察知しづらい。自我そのものが防衛反応なので、つまり自分からは知覚も動作もできない、原理的に。
 ではどうするかというと、身体=無意識と、受動的な覚知(Passive Awareness)ということになる。でも、「どうするかという」枠組みでもない。
 あと、なんだかんだ言うより、自己を関係のオブジェクトとみなしてその外界の機能だけ客観視するというのがある。
 ネットの比喩でいうと、通じない相手にリアクトすると、そのリアクトがさらに増幅する。Collusionの発生。
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 で、Collusionというのは、自己を傷つけることというのはそうだし、ここに書かれていないけど、これも微妙に権力と性の問題がある。単純な被虐というのではないのは、ウォーナーも注意しているけど。
 反ってわかりづらかったかも。自分自身わかっているわけではないから。というかそれ以前に話が噛み合ってなかったかも。