非難とか誤解しないでねなんだけど

 ⇒目からうろこが何枚も落ちた オープンソースの“人間的本質” : web kikaku

 私がまつもとから学びたかったのは、オープンソース開発に参加する人々の動機についてだった。まつもとはクリスチャンでもあるので、信仰とオープンソースの関係、利他的な気質や奉仕の精神がオープンソース世界でどれだけの意味を持っているのか、といった問いを通して、参加者の動機の本質を探りたかったのである。

 信仰とオープンソースの関係についての彼の考えは次の三点に集約された。(1)「Ruby」が欧米で受け入れられる段階において自らのキリスト教文化への理解が一助となったことは確かである (2) クリスチャンとして恥ずかしくない言動をと常に意識していることは、不特定多数を相手とするコミュニティ運営において好影響を及ぼしている (3) しかしリーナスは無神論者だし、信仰のオープンソースへの影響は副次的である。

 まつもとさんは、モルモン教徒なんです。
 ⇒モルモン教 - Wikipedia
 ⇒末日聖徒イエス・キリスト教会 - Wikipedia

 イエス・キリストを信仰対象としている点や、聖典の一つとして聖書を用いている点などから、「キリスト教の一教派である」との印象を与えやすい。しかし、主要なキリスト教諸派とは大きく異なる教義や儀式が多く、キリスト教系の新興宗教と定義されるのが通例である。

 私の米国観だとモルモンはクリスチャンとは区別されているように思う。
 このあたりはロムニーについての扱いでも注視していた。
 ⇒ミット・ロムニー - Wikipedia
 ロムニー関連の話題で私が得たざっくりした印象では、モルモン教を非難する大手ジャーナリズムもなく政治的にもモルモンは受容されている。で、ロムニーの人格評価なのだが、キリスト教に限定されない価値性、たとえば「誠実さ」といったものが問われた。
 ちょっと踏み出していうと。
 梅田さんのこの論評はあやういと思う。その線でいうなら、モルモンの精神ということになる。また、ティム・バーナーズリーの場合は、ユニバーサリストの精神ということになる。
 ユニバーサリストがキリスト教徒であるかはさらに微妙な問題。ただ、モルモンよりは近いとされているようだ。
 むしろ、ロムニーのようなモルモンを普通の社会のなかに受容していく社会精神性と、モルモンたちの協調(例えば人種差別や一夫多妻の廃棄)の歴史の相作用が、「信仰のオープンソースへの影響は副次的」という部分の核心にあるのだろうと私は思います。
 つまり、モルモンの信仰というのはあるし、その産物・活動を、広く受け入れていくという社会プロセス、別の言い方をすると、モルモンも非モルモンも協調していくことに慣れていくオープン性という部分が重要なのでは、ということです。