これが老いということかもしれないけど

 昨日これ書いて。
 ⇒ありきたりな話。
 過去ログを読むと、もう極東ブログも足かけ5年にもなるわけで、5年前の自分に向き合うと、うーん、若いなとか思ってしまう。根の部分は変わらないし、ひりつく感性みたいなものはまるで変わらない。それをいうなら4歳くらいから変わらない。
 ただ、「うーん、若いな」というのは、こんなものを書く気力が今はないかなというか、やはりそれなりのエネルギーを感じる。自分でいうと阿呆みたいだけど、率直な話。
 実は昨日、ちょっと最近の思いというか思いの変更というか、今朝の産経社説のコラムに触れたあたりをもうちょっと丁寧に書こうとして途中で挫折してボツった。簡単に言えば、もう戦争の事は忘れましょう、国家のことは忘れましょうみたいな話で、忘れていけないということなら今の世界にコミットしましょうみたいなことだが、なかなか通じないし、自分がそう思っていればいいだけかなと思った。もう一つは、正義やイデオロギーで考えるのでなく社会の多様な人の全体的な福利に配慮してヒステリックなニュースはやめましょうみたいな話。これはちょっとメモ書きした段階でボツった。
 増田みたいなところで書くというのもあるのかもしれないが、昨日人と話していて、ああ、どこで書いてもfinalventさんが見えてくると思った。自分のオリジナリティというのはあまり信じてないというか全然信じてないのだけど経験的にはそうなるでしょ。ついでにいうと利口ぶってとか通ぶるみたくネガコメされるけど本人はまったくというか少なくともそんなことは考えてもいない。いやさすがにここまで生きているとそういうあっけらかんとした態度が悪い影響しているのはわからないでもないけど。
 ま、そんな感じかな。
 ついでのついでちらと。
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2008年03月08日 kanimaster life 肉体的な痛み以外は、怖いと思ったことがないな。

 まあ、そういう人がいるのは知っている。少なくはない。
 ただ、もうそういう人とは社会的なインタフェース以外では完璧に通じない世界を抱えてのたうち回る人生というものの存在もわからないだろうし、いや、別にわかってくれとは思わない。多生の縁も遠しと思うばかりだ。
 逆にいえば、多生の縁の近い人はいるし、ちょっとエハラーすると、どこかしらテレパシーみたいにつながっているというか、同じ根っこから派生した多様な同一体的な知性というのはあるのでしょうね。