今日の増田

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この世界に生きて自分が何をすればいいのかわからない。
それがわからずにただ生きているのが苦しい。
こういうことを誰にも相談できなくて苦しい。

 道元禅師も若い日にきっとそうだったのだろうな。昨晩、禅師の激烈な言葉を読みつつ、その若い日の苦悩を思った。

諸仏如来、ともに妙法を単伝して、阿耨菩提を証するに、最上無為の妙術あり。これただ、ほとけ仏にさづけてよこしまなることなきは、すなはち自受用三昧その標準なり。

 禅と言えばもう末法末法の世となりあまり意味もない気がする。
 瞑想なりメディテーションといってもおかしな意味しかない。
 ヴィッパサナー的な覚知も押し迫る苦にはどうしようもないだろう。
 と、そうした日々、私は、古い墓場を巡って歩いた。後にシオランもそうだったと知った。墓碑も読めなくなった墓を丹念に読んで回った。