そこが微妙なところだろうな

 まあ弾さんは話が通じないタイプの人ではないので、ナンセンスな誤解はされないでしょうということで、ちと備忘メモ的に(対話的にという意味ではなく)。
 ⇒404 Blog Not Found:人間の価値を賃金の多少で差別したがるのは誰か?

 > 要は、最下層の人が上流層に入れるプロセスだけわかっていればいいのです。
 
この下りが、赤木にはどうも理解できないらしい。
 
確かに、それは困難なプロセスではある。実力だけではなく運も必要だ。しかし、金はその過程で手に入れればよいのであって、はじめから持っている必要はないのである。堀江もそうであったし私もそうであった。困難ではあるが、少なくとも駱駝が針の穴を通り抜けるほど困難とは思えない。

 おそらくそれはチャレンジしがいのある困難さではないと思う。やるだけ絶望感を増やす種類の困難さだろう。もちろんそれでも成功する人はいる。
 で。
 私はなんとなく問題の所在がわかってきた感じがする。
 弾さんみたいに社会的な成功者、というか内心は違うだろうし、その内心の部分で私なんかと共通的な世界観や人間観はあるだろうと思う、そういうスタンスからは、それは、なんというか身内的な近さのある人への言動としては有効かもしれない。
 でも、公的な場への言動としてはほぼ無効なのではないか。
 そしてそうした無効さが、反面では歪んだかたちで成功のノウハウのようなものに固まりつつある。
 人はたぶん凡庸だ。100人1人くらい物を考えるために本を読む。また、10000人に1人くらいが社会的成功につながる能力を示す。
 大半は凡庸だし。それが社会というものだ。
 ではなにが有効な言説なのか。
 基本的には、あまり能力のない人を包み込む大枠の政治の合意なのだろう。ただ、そこもまた隘路というより塞がれている。