日経社説 肝炎訴訟和解も「意気込み」だけか

 単純によくわからない。

 同訴訟は全国5つの裁判所に提訴された。9月までに出そろった地裁判決は「国に感染被害を止められなかった責任があるかどうか」について、感染源である薬剤の種類や薬剤を投与された時期で区切って判断した。その結論は、「どの時期も責任なし」からほぼ原告の訴えどおりに広い範囲で認定したものまで、5つの判決がそれぞれに異なる。
 大阪高裁が提示した和解案は、国の責任を限定的にとらえる内容で、原告側は薬害被害者の一部が救済されないとして拒否する意向を表明した。同高裁は和解案と同時に出した所見・説明書で「(原告側が要求する)全員、一律、一括の和解金支払いによる解決が望ましいが、被告の国・製薬会社の格段の譲歩がない限り、地裁判決の内容から外れられない」旨、述べている。

 ここまではわかる。
 が、これはわからない。

 国民が薬事行政に求める「安全確保の責任」が、そんなものでないのは論をまたない。当の厚労省も「“著しく不合理”にならなければいくらサボっても構わない」などとは考えていないだろう。血液製剤を原因とするC型肝炎感染が発生し広がった原因に、「著しく不合理」とまではいえなくても薬事行政の手抜かりや怠慢があったのは明らかだ。

 それは裁判のスキームでどういう位置での意見なのだろうか?
 というか、それはどういう解決を想定しているのだろうか。