曇天

 雨は少し降るかもしれないがたいしたことはないだろう。そろそろ晴れるんじゃないかと思っていたし、天気図を見ると明日あたりから晴れそうかと思うのだが、前線の影響があるのだろうか。と台風を発見(15号)。これが沖縄のほうに押してくるのか。
 ネットの関わりがモバイル系にシフト。あるいはモバイル系でなくても、そちら側のスタンスからPCへという感じもする。無理に感覚をシフトさせるつもりもないので、感覚の揺れみたいのも見ている。
 昨日は極東ブログに少し息抜きお料理エントリでも書こうかと思って、ためらっているうちに時間を失った。ブログがまた別の意味でよくわからない。半径1クリックでないところがネットなんだからしっかりエントリ書けよと思う面もある。ただ、そこで無理もしたくない。
 はてながますますわからなくなる。スターあたりだろうか。ぶくまとスターが関係しているらしいし、そんなの見ればわかるんだけど、ぶくまコメントにスターが付くというのはどうなんだろ。実際には、ぶくまコメントはtwitterの一言と変わらない。変わるのは、文脈だろう。twitterの場合は、Friendsが文脈になるが、ぶくまでは対象エントリのプロコンが文脈になりそこで文化戦争っぽくなる。最初から文化戦争がメタフレームで仕組まれやすい。煽りがシステム的に構造化されているのだ。問題のエントリの多様性や豊かさへ分散されずらい。
 スターというのは悪意コメントを減らすという意図だったのではなかったかと思うのだが、そのあたりの運営側の思いはわからない。twitterのFriendsのようなゆるいコミュのシステムとコミュの速度のアメニティみたいなものをはては実装できなかった。
 というか、現状、なんとなくだが、ネットでは、ブログブームは終わり、mixiも終わり脱出が始まり、小さなミニブログ的な緩いSNSに流れている。所詮数的には大したことないのでネットと情報の動きとしては捨象してもよいようだが、そのあたり、たとえば、Freinds 20 くらいのクラスターの慎ましく善意な交流が次のクラスターを形成していくというのは、ちょっとありかなと思う。まあ、はてな村というのもそういう中規模クラスターなんだが、単純にいえば一番まずい形態だろう。
 ふつうにある人があることを思う。それは発言してみると、間違っているとか、世間の空気に合わないとか、文化戦争的なプロコンの配置に置かれるというのはあるが、それをゲシュタポってフルボッコにするような今のネットは、絶望だ、だろう。それももちろん、しかたがないことなんだが、むしろ、緩やかなナイーブな発言を包み込むような小クラスターを保護するような全体のシステム意志みたいのはほしい。「え、それ違うよ」「なんで?」と言い合ってそこで普通にコミュができるような。
 なんとかという情報の焦点性みたいなものは依然あるというか、それもまたシステムの要請なんだろうが、私というブロガーは存続するなら少しずつ希望の見えるほうに自分から解体・再構成していかなくてはいけないということか。ま、その前に消えちゃいそうだな。