ほいじゃ、「妻」

 増田CALL⇒

 「妻」というのは自分の配偶者に対してのみ使う、一種の謙譲語みたいなものかと思ってた。
 「嫁」という表現はもっと広くて砕けた表現だよね。「うちの嫁がさ(ry」「あんたんとこの嫁さんって(ry」って感じの。
 finalvent翁が解説してくれたらいいなー。

 これがけっこう難しい問題もあるのだけど、「finalvent翁」くらいの歴史感覚をざらっと言うと。
 まず、「妻」なんだけど、
 ⇒夏目漱石 こころ

  私は私がどうしてここへ来たかを先生に話した。
「誰(だれ)の墓へ参りに行ったか、妻(さい)がその人の名をいいましたか」
「いいえ、そんな事は何もおっしゃいません」

 というのがある。「つま」じゃなくて「さい」と読ませている。
 この作品の時代だけど。
 ⇒こころ (小説) - Wikipedia

こゝろ』は、夏目漱石の長編小説。1914年(大正3年)4月20日から8月11日まで、「朝日新聞」で「心 先生の遺書」)として連載。岩波書店より刊行。

 描かれた内容は明治天皇崩御があるので、明治時代末期としていいし、読まれたのは大正リベラリズムというかそんな感じ。読者層はある意味で中間階級的であるけど、漱石はある程度大衆を意識している。新聞小説でもあったし、推理小説的な娯楽性も意識している。
 まあ、ある程度知的な階層では、「妻(さい)」はあったと思う。たぶん、これは、現代語の「正妻」との関連にあるだろう。「細君」という言い方もある(「妻君」もある)。友達の「奥さん」とか指す語感があるが、辞書では解説がまばら。これはもう死語だろう。
 はてな世代だと「後妻」とかいう言葉の語感もないかもしれない。が、この言葉はけっこう戦争の響きがある。
 ちなみに、「僕(ぼく)」も当然ある。

私は二度同じ言葉を繰り返しました。そうして、その言葉がKの上にどう影響するかを見詰めていました。
「馬鹿だ」とやがてKが答えました。「僕は馬鹿だ」

 漱石が読まれる時代は、ある意味で、現代よりもリベラルな感性を持つ人が多く、昭和初期もこれが続くが、次第に軍靴の音が聞こえるの時代になってくる。その頃、配偶者をなんて呼んだかは当時の大衆小説などにあたらないととは思う。
 というか、「妻(さい)」が「妻(つま)」にいつ変わるか。
 糟糠の妻、新妻という言い方もあるし、妻(つま)自体は古事記にもある。ただ、古語の用例とやや意味が違う点もある。総じて、「妻(つま)」は江戸時代以降からずっとあるにはあるのだろうが、さて、男が配偶者を「妻(つま)」と呼ぶかはよくわからない。「奥」は江戸時代からありそう。「奥様」の広まりの時代はよくわからないが、戦前まで家のある家庭だと切り盛りに雇い人がいたのが普通。そのあたりの語か。
 妻(つま)といえば、お座敷小唄にこうある。

    好きで好きで 大好きで
    死ぬ程好きな お方でも
    妻という字にゃ 勝てやせぬ
    泣いて別れた 河原町

 「妻(つま)」があるが、これは戦後だろうか。戦前の語感はありそう。
 ついでに、「令閨」、「令室」は死語。「(お)内儀」も死語。ちなみに「良人」も死語。
 話が妻ンなくなりそうなので進める。
 私の父の世代というか、今、よぼよぼしている老人たちは、若い頃「ワイフ」とか言っていた。げ、とか思うとしたらこれが時代感覚がない。GHQ世代なんだよ。老人が古いとか思っていると大間違いで、今の老人たちのセンスの一部はけっこうアメリカーン。
 「妻(つま)」とかいうのが照れるというか恥ずかしいような気風があったようだ。いまでこそ真性爺ぃの五木寛之(私の父の世代より下、戦後世代の始め)もまだぶいぶい言ってころのエッセイでは妻をどう呼ぶか悩んで「配偶者」とかベタな洒落で書いている。この含羞みたいなものがあった。
 全共闘世代とかは「おさな妻」とかあった。「妻」がちょっとHっぽい響きがあったのだろう。ただ、愛妻に現代のようなべたにエロな響きはない。っていうか、どうなってんだ日本語。
 「うちの女房がね」「うちのかみさんが(懐かしのコロンボ)」とかも並行してある。たぶんでも死語になったのは「やまのかみ」でしょう。この語感があるのは、私の世代が最後か。
 「嫁」というのは、私の世代では配偶者を指さない。婚礼や結婚の関係性で言う、はず。つまり、姑が「うちの嫁はぁ」とかいう文脈。
 余談だが、沖縄では、トゥジという言葉がある。解説は長くなるので略。
 いつ頃から配偶者をふざけて「嫁」とか呼ぶかなのだが、私の青春時代、30代にはない。90年代以降の用例だろうと思う。追記関西ではけっこう以前から、「うちのよめはん」とか言うので、その系統で「嫁」があるのかもしれない。
 長くなりすぎ。
 ああ、私の上の世代から私の世代では(ただし一部全共闘世代を除く)、では、妻のことを他者には「家内」と呼ぶ。だいたいこの用例の位置に現代語の「嫁」が近い。ただ、「家内」はフォーマルな響きもある。夫のほうは「主人」あるいは、名字を呼ぶ。
 この名字を呼ぶというのがなかなかえぐいものだよ。「中村はあれで因業なところがありましてね」とか、中村美子が言うみたいな。