十年ひと昔というけど

 文章のテイストというかそういうのは二十年ひと昔っていう感じがする。
 今年私が五十歳になる、げげげぇ、ま、それはそれとして、二十代から三十代にかけて読んだ、たとえば吉行淳之介の文章みたいのが、ああ、なんつうか、昔だなぁ、古いなと思う。あの山口瞳もそうだし、野坂とかも。五木寛之なんかは微妙に変な変化しているが。
 で、自分と同世代か少し上の人だと、あの時代の文章を書いている、あるいはあの時代の文章がよいと思って書いている人たちをときたま見る。ちょっとだけ言うと、きっこもその部類だと私は思っている。
 私は、率直にいうと、そういう昔の文章、文章術、文章美学、などなど、どーでもいいやと思う。というか、増田の文章とかのほうが面白いことがある。っていうか、別に若い人に媚びるつもりはないが、若い感性と文章の息づかいのほうがよいっていうか、古い文章は古い人が読んでいればいいのかと思う。
 まあ、うまく言えないが、ブログとか日記とか、結局テキストというか文章にこだわるように見えるけど、もうなんか違うんだと思う。
 先日、梅田晴夫関連のもの少し読んで、万年筆の時代だったなぁ、万年筆や原稿用紙のこだわりで物を書いていた時代があったのだなと思った。そして編集者もそれに沿った鬼でもあった。また、女たちもそういう空気のなかで生きていた。
 時代は変わった。
 エディタとかで文章を書いているのだ。彼らが生きていたら、こんなの文章じゃないよというだろう。いや、だから死者は死者なのだ。