わすらるる身をば思はず

 増田に告って成就せずの話があり。まあ、そういうこともあるのでしょう(-_-)
 
  わすらるる 身をば思はず ちかひてし 人の命の をしくもあるかな 右近
 
 わかるようなわかんない歌だ。なにか背景というか呪術というか風習なりがあると思うのだがわからない。
 ただ、言葉の響きは右近に遠い未来である私にも伝わる。人はみな、わすらるる身をもって生きている。なぜこの世界に「私」がいて、私からしか世界が見えないのに、世界や他人の世界は、私のことを忘れて過ぎていくのだろう?
 いや、そういう私が他人のことを忘れていく。今朝、ある恩師の名前を忘れて、必死こいてサーチした。ネット役立たずだったが。
 この歳こいて色恋というのもばっちい感じがするが、また私なんぞツンドラ的世界に生きた人間の言うこっちゃないが、忘れる恋、忘れられない恋、まあ、いずれ忘れるのだけど、その違いはなんだろうと思う。そして、恋てふものは相手様のあることだが、その相手は私のことなど芥子粒ほども覚えていないだろう。というか、女とはそういう生き物である、し、そういう生き物でもないこともある。この問題は考えるだけ無駄だが、私は忘れられているだろうと思うし、ふといろいろ記憶を仔細に照合すると、私が忘れてしまった人もいる。ただ、その人も今私とではないから幸せに生きているという暢気な確信がある。
 忘れるというのは、それが過去になったということだし、たぶん、同カテゴリーで上書きしているのだろう、つまり、新しい恋ってやつだろう。けっこうな人がそうして生きている。そうして生きられない人もいる。