久しぶりの晴れという感じもするが

 そうでもないのか。今日は……木曜日? そうかぁ。
 昨日ワインのことをてろっと書いた。夜ちょっとおやつを買いに出て、店の棚にあるワインをざっと見た。お安いチリワインなどがある。悪くはないのだが、2005年とか飲むとあとでまいるからなと。そういえばビールはまだ買い置きがちょっとあったっけと思い出して、飲むか飲まないか考えつつ、結局、またストロベリーチョコを買い、部屋に戻ってほうじ茶を飲みながら囓る。ぼんやり、「脳は意外とおバカである」を読み直して、これって怖いことが書いてあるんじゃないかと考えなおす。
 ⇒極東ブログ: [書評]脳は意外とおバカである(コーデリア・ファイン )
 補足エントリを書くかなとちょっと考えて、まあ、よくわからない。
 それからブログの書き方というかスタイルのことを少し考えて、また、よくわからないなと思った。まあ、そういうときはなにげに前進!
 本を置いて、ふと新聞折り込み広告を見ると、近所にまたスポーツクラブが出来るらしい。30代のころの記憶で考えるとこんなのにカネだしていそしむ人々がいるのかと思ってざっとみると、あれ?これって意外とお安いのではと思った。ふーんという感じ。オレとかこれに会員になると30代の奥様の間でむっちり汗を流すのかしら? うへぇ。それもなぁと思いつつ、世間が変わっていくのを不思議に思う。
 そして自分は老いているといつもようにパターンで考えるのだが、そうなのか。どうも心はやはり老いてないような感じがする。心は若々しいとか馬鹿げたこと言う気はない。今の若い人の心はまるでわからなくなりつつあるし。ただ、どうもなにか心と年齢というのは奇妙な齟齬がある。なんなのだろうと考えつつ、心の年齢というのは社会と個人の欲望の調停機能かと考える。もしそうであれば、社会への個人スタンスが決まれば、人はそこから精神的な変化をしなくなるのだろう。
 よくわからんが、回りの老人たちを見ると、彼らはほんと「若い」(皮肉)。戦後世代という感じがする。日本の伝統から切り離されたか、あるいはそういうものを訴求的に求めたか。つうわけで、実は老人になれないなまなましい老人たちが溢れていくのだろう。そしてその風景のなかに、オレはどういう小さな居場所を求めるのか? っていうあたり、それがネットかよと自分にツッコンで沈没。