観音菩薩の肉体

 
     行者宿報設女犯
     我成玉女身被犯
     一生之間能荘厳
     臨終引導生極楽
 
 明け方奇妙な少し不快な幼い恥辱的な身体感覚とこのところの水の中の身体疲労から、鈍く○起しつつ耳のなかに残る女の声、その遙かな雲の世界のような……ま朝からポエムかよだが、ぼんやりと、観音菩薩の肉体を考えた。このところ西遊記とか読んだり、昨晩ダライ・ラマのことなども考えたりもしていた。私は異教の神を信じない人だが、いつからか日本の古典的な自然の中を経巡っているうちにいわゆる日本の八百万的なカミも感じられるようになったしということなのか、ぼんやりと観音菩薩の肉体もかと奇妙に思えた。観音菩薩は女ではないが女である。親鸞が夢想したように。男が母から離れて一人の女を裸にしたとき、そこに現れるものだし、またその女からもう一人の私を救済するような覚信尼としても現れうる。生きているというこの世界の、半村良的な神というのは観音菩薩の肉体であろうな。それが迷いであるとどれほど遠いところから呼ばれても、この輪廻のなかに舞い込まれていくのが命というものだろうな。
 今朝のスピリチュアル・メッセージでした……いやいやそれはさすがに。