孤独とか苦しみとかにはそれ自体に悪を誘発する部分があってつらい

 と思う。
 しかも、そうしたものは、心の持ちようなんかじゃないところに根があるから、何を言ってもウサギさん。
 つうわけで。
 それを表現すればするほど、伝わらないし、いらだつし、いらだちは表現になってしまうし、結局、悪な回路に嵌っていってしまう。
 どうしようもないといえばどうしようもない。
 しいてどうしようもなくなくない的な部分があるとすれば、それが「悪」の回路なのかなと、おひょっと、半身を反らすくらいなことだろうか。
 悪というのはそれ自体の正義を持っているというか、意味不明なこと言っているようだが、あるいは自己の義というのはそれ自体が欺瞞であるという悪なのだというか。
 旧約聖書とかだと、絶望的な状況にある預言者などが、神様に向き合うと、なに悩んでんの、おまえなんか神様が作った土器なんだから壊して土に戻してしまうよ、と脅される。ひでえ神があったもんだとも思うが、その中で、人の義が否定される。人の立てる義に本質的な悪が潜むことかもしれないなと思うこともある。まあ、私には信仰っつうものがないのでよくわからないが。
 私の苦しみ・不幸その故に私の存在の義が打ち立てるというのを、神はがっちゃんと壊す。