あーそんなことはもう書いた的

 ぶくまとか見ていて、ああそういう話は以前書いたな。たいして読まれなかったなとか思うことが多くなってきた。
 ので、あらためてさして書かない。
 というのが循環になると、つまり、ネタがないということで。
 それはそれでよいのではないかという感じがする。
 あと。
 その話題はもう私は関心ないというのも多い。
 関心ないものに関心を持つほどのものでもないだろうと思う。
 うーん、「差別」とか。
 ちょっと言うと日本にいると、なんというか、それほどひどい差別はなくなりつつある。そういう言い方も通じないと思うのでどうも口ごもってしまう。
 欧米人のマジな差別意識にぶつかったら、まあ、小林よしのりくらいにはなるよ。でも、そういうのを10回くらい経験して小林よしのりにならない道を探すというのが全うな考え方だと思うだが、ま、それも通じないでしょ。
 というか。
 別に通じなくてもよいのであって、わかる人はわかるのであって、だから、やはり、あまりブログに書くこともない。
 循環。
 先日ちょっとだけ書いて、ま、それ以上は書かないとしたので、あまり書かないのだけど、買売春とか、「じゃ、あんた買う?」「じゃ、あんた売る?」という「あんた」というか、「私」のべた部分というのは、語らなくてもいいのだけど、でも、なんかしこたま語ってもそこは薄暗く残るわけですよ。
 あまり言ってはなんだけど、「売らなきゃならない」ような現実だってあるわけだし。もうちょっと想像力があれば、「買わなきゃならない」ような現実だってある。で、議論だとそんな現実はねーとかなる。でも、そういう境遇に自分を置いてみる想像力っていうか、ま、ま。
 で、と。
 増田とか面白いなというのは、匿名なのに、匿名だからか、そういうべたな「私」が露出することがある。はじめてセックルして、女の子のおっぱいがやわらかった、とか、またしたい、とか、ま、人間というのはそういうべたな「私」をコアにして生きているわけで、別に議論なんか不要というか、コミュニケーションが大切とかいうのもあるだろうど、「公」のルールに関係ない部分の「私」の隠匿性のなかで、みなさんべたな「私」が生きているわけですよ。
 ついでに。
 増田とかで、19歳の男の子が34歳の人妻を孕ましたみたいな話題があって、先日、そういうのがネットにあるんだよと、ととある40歳女に話したらいきなり爆笑してましたよ。爆笑はねーだろ、真剣な問題だよとか言うとさらに爆笑。いや、もちろん、爆笑しちゃあかん問題なんだよ、現実的にはね。死人が出る問題でもあるし。でも、ま、人生というのはいろんな局面がある。
 どうも、最後に説教臭くなるな。
 あかんな。