まあ確かに
増田⇒■
それから半年が経つ。やはり父は偉大だった。時代のせいもあるのかもしれないが、この過酷な職業に良く耐えられたものだ。先日、あまりの不調にかかった医者に、軽度の鬱病と診断された。
そんな私の現時点での考え。
不器用で、内向的な人間が、幸せに生きられる場所なんて、この世に、ない。
努力しても、変えられないものが、ある。
まったくそのとおり。
ただ、早世されたお父さんはあなたが幸せになってほしいと願っていたと思う。あるいは比喩的に言えば願っていると思う。
それに応えてみようとしてもいいかもしれない、と少し思う。
思い出。若い頃に、年上のきつい友人によく言われた、「お前はお前さんという人間を救ってごらん」、と。自己を自己で救済することはブートストラップ的な不可能なアポリアだろう、まあ、そこまでは少しものを考えればわかる。
そして、絶望というのは、少しものを考える人間なら、パチンコの玉が下の穴にどばどば消えていくように必然的に到達する。
という意味では、絶望は、かなり、凡庸。
アポリアは、おそらく、こう変奏される。「お前さんは凡庸な無意味な死者たちを救ってごらん」と。
自身がその無意味に徹してなお生きていることが可能なら、「私」は無名の多数の凡庸な不運な人たちと共に、この世界を、ごくわずかに救済している。世界と無は私のなかでかろうじて生きている。
あるいは死者たちの静かなencouragementに耳を澄ます。