女性のネットワーカーっていうか今ならブロガー?

 どっちでもいいけど。
 アスキーネットの初期からもちろん女性ネットワーカーはいた。当たり前。ただ、なんというのか、うーむ、ちょっと微妙で、なんとも言えない。今と違っていた面もある。一般的にネットの世界が大衆化したなと思ったのはニフティからか。
 未だに実名・匿名議論が盛んな地域もあるが、私の世代では実名というのは性の表明でもあった。実名にせい、ということは、性を含み込むのだがそういうふうに議論が展開されたのを見たことない。ありますか?
 最近はどうなのかよくわからない……いや、どうなのかというのは、実名がわかると性がわかるかどうか。ま、たいていはわかるだろうな。今の10代くらいになると子供の名前はもうシュールな世界だからわからんのが多くなるだろう。「れおん」とか聞いて女とか思うのは先に略。
 ネットワーク歴、ええと、20うん年か、まどうでもいいけど、私は、私だけの性向かもしれないが、ネットで相手を女性だとして語ることはあまりないように思う。相手側からどう見えるかはちょっと微妙な問題というか略。少なくとも、私の意識のなかでは、ネットワークの空間では(メールは別だが)、性差を抑制する。
 (ただ、この日記でも、「俺」語りすることはあるが、どっちかというと、マスキュリニズム的な様相でだろう。つまり、中年のオッサンという悲哀なる性の存在として。)
 私自身が世の中に出るまで、恵まれていたというか、娑婆ずれしていたというか、性差を意識して語る必要がまるでなかった。社会に出てから、そう対応していて、けっこう面食らったというか困ったことがあった。
 で、どうしたかというと、そういう世界に関わるのはやめて、依然、性差が無効な世界だけを好むようになった。
 大概において、仕事の関係でも、友人の関係でも、そこにどう性差の意識を持ち込んでいいのかまるで私にはわからない。
 一つ言えることは、こうした実生活の対話の場における性差、つまり、対性としての女性は、つねに一人の女性というより、ある女性の類性として現れるという感じだ。単純にいえば、つねに政治的な女性集団の一人の代弁というか。
 ネットでは、相手が性差を対話に持ち出さないかぎり、私は基本的に中性的に語ってきたと思うが、たとえばマルコ青年が女性だとは思わないというふうな想定というか、野郎ノリはある。ただ、そのノリで女性について、「おめーかわいくないよぉ」みたいに語ることは、かなり、ない。たぶん、皆無に近くない。擬似的であれ、恋愛の延長のような世界あるいは性を含んだ親密性の世界を私はとても嫌悪する。そういうふうな男性もかなり嫌悪する。ネットの世界で女性に対して女性として語る、あるいは馴れ合うというのか、まるで飲み屋の女将扱いで語る男について、私は汚いもののように感じられる。(たぶん私の男性性がそれを許さないからだろう。)
 日本語は近代語になってから欧州語の影響を受けているため、彼/彼女で三人称を受けるのだが、それはネットの言説ではどうか? たぶん私は「彼女の」というふうには語らず、テンコさんのみたいにハンドルで語る。このあたりにいつも緊張がある。ただ、「彼」は言うな。そのあたりは、中性というより擬似的に男性的なのだろうか。
 この問題はもうちょっと語ることがあるにはあるが、ちょっと微妙過ぎるものがあるな。
 うまく言えないが、この五年くらいだろうか、ネットに参入した人たちというのは、ネットの中の性の意識というがかなり実生活に近いものになっているのではないかと思う。
 それは私にはかなり違和感があるし、その違和感は、下の世代からは年寄り臭く見えるだろうな。ま、それほど私に関心はないだろうけど。