もちろん前世とか信じない

 のだが、それを感じることはある。もちろん、感じるから信じることはない。特定の歴史事象に既視感がある。よくわからない。
 もう一つ。歴史に対するある関心が基本的に何かを志向していて、その志向というか欲望というのを、なんつうか、ま、こにょこにょ考えてみると、それが自分の前世だったという仮説を立てると案外説得力がありそう。
 まあ、もちろん、前世とか信じない。
 というか、生まれ変わるということはどういうことかというのを、どういうスタイルで語るのかよくわからない。たぶん、文学だろう。
 例えば、サリンジャーのこれ。
 ⇒「 サリンジャー選集 (別巻1) ハプワース16、一九二四: 本: J.D.サリンジャー,原田 敬一」
 を一連のサガの集大成として読むと奇妙に納得するし、これはいったいなんなんだと思う。
 というか、ハプワース16をきちんと理解しないと、実は、 ナイン・ストーリーズが理解できたことにならないのではないか。
 ⇒「 ナイン・ストーリーズ―Nine stories: 本: J.D.サリンジャー,J.D. Salinger」
 とかいいつつ、では、「ハプワース16、一九二四」からどうやってサリンジャーを再構築するか、というか、そんなことをしても狂人でしょみたいになる。
 批評的には、比喩なんだと言えないこともない。
 サリンジャーがいかれていたと考えるのが取り敢えずは妥当。
 ⇒J・D・サリンジャー - Wikipedia

"Hapworth 16, 1924"(1965)
現在までに公表されている最後の作品で、ニューヨーカー誌に掲載された中編小説。アメリカでは今日まで単行本化されていない。数年前、単行本化が実現しかかったが、事前に書評家 ミチコ・カクタニによる酷評が雑誌に掲載され('From Salinger, A New Dash Of Mystery,' The New York Times, February 20, 1997)、これにショックを受けたサリンジャー自らが企画を取り下げたと言われている。同書の日本語訳は入手可能 (『サリンジャー選集(別巻 1) ハプワース16、一九二四』 荒地出版社、1978年、原田敬一訳)。

 一般的には、英米圏では、事実上、よほど文学研究でないかぎり、「ハプワース16、一九二四」に触れることはできない。
 現状のサリンジャー(存命)から考えると、続編の原稿を抱えている可能性はある。
 酷評に怯えたところにサリンジャーが生きていることを痛みのように感じる。
 私は、死ぬ前に読みたい、数少ない幻の小説でもある、もし、それが存在するなら。
 が、このあたりの問題は難しい。
 この謎は、ある程度、結局、「ハプワース16、一九二四」に影響された自分の人生だったかなという感じもするから。
 というか、別の形で、あの世界を書いてみたいと思うことはある。