確か森有正だったか正確には覚えてないが、言った。
ソクラテスが存在して「真理」という名辞が意味を持つようになった、イエスが存在して「愛」という名辞が意味を持つようになった。
そんな感じ。
もちろん、このことをベタに肯んぜよというものではなく、彼一流の体験と経験論の枠組みだった。
まあ、それもそんな感じ。
と、前置きが長いのだが、ブログ論なりというとき、ブログがどうあるべきかというとき、私はまず話者と存在するブログという物が必要だと思う。話者とブログの体験と経験(この差はさしあたって曖昧)という物、そして疎外された物。
ブロガーが存在し、ブログがある。
そのあとからブログ論が出てくるか、と。
もちろん、そういうふうにブログ論を考えなさいというものではない。