私の世代(S32)だと25歳くらいで結婚して

 いたものだった。
 高校の時の友達が結婚するってんで、余興みたいなことを考えよと同級生が集まってみると、あー俺もそろそろってな話があった。80年代半ば。
 あの時代の同い年の女性、当時はもちろん20代なのだが、なんかうまく思い出せなかったりビビッドに思い出せたりして奇妙なものだ。
 20代後半にかかると仕事も少しつつ仕事らしくなり、遊び仲間みたいなものも、なんか変わっていく、ってか、片づいていくのが多くなって、さてみたいなものだった。
 日本でネットが始まったのは84年。
 ふーんみたいに不思議な空間が広がりだした。あの不思議さはちょっとうまく言葉にならない。が、今Web2.0とかでぶいぶい言われているものいくつかはすでにあった。
 私などはネットの空間が次第に大きくなりだしたが、それでいて、すでに90年代前半には引いていた。ニフってなじめないなぁみたいな。
 最近どっかで、ネットで恋愛するっていう人マジいるんすかとかいうのを読んだ。私はそういうのをいく例も知っている。
 そういえばそれでもあのころは携帯電話はなかった。メールの恋愛とかも今のメールとはまるで違っていた。
 こうした風俗はついネットとかそういう世相の側から見られてしまうものだが、その内側の恋愛の生活感覚みたいなものは、なんとも微妙なものがあった。人は、生活のなかに生きているわけで、あたりまえだが。
 30過ぎて、へぇみたいに離婚のストームの時代があって、なんか、もらった80年代的ハッピーな年賀状、これってどうしよみたいな。
 一緒に仕事をしていた一人が、もうこんな業界はいやとかいうことでサブウエイの店長になった。先日、サブウエイでサンドイッチ食いながらどうしたかなと思った。営業周りの深夜バスかぁ。
 昨晩、あの時代の吉本隆明の本をつらつらと読みながら、高度資本主義が労働時間を短縮させ週休三日というところで、さて、そうした奇妙な未来に今いる自分はどう考えたらいいのか。
 大企業で偉くならなければ、あるいは公務員で偉くならなければ、週休三日とはいえないまでも、うへぇ、こんなに休日あるのというくらい休日が貰える。ってか、自分も一時期その境遇にあって、楽だわこりゃとか思った。ただ、これって、やってみると二重人生というか仕事がまじで仕事なわけだ。あの修羅場の仕事だか博打だか祭りだかわからない熱狂はない。
 偉くなると実際には休日というのはない。あまり偉そうには言えないが、偉くなるにはきちんとお家が重要。ご親戚というかな。階級っていうのは親戚ってことだよ。偉くなると休暇と称して仕事を考えたり、親戚のメンテしたりということになる。なんかそこまで偉くなるものかというか、なれなかった俺だな。
 ⇒Yahoo!セカンドライフ - 社会と経済 - ニートは国を滅ぼすか? インタビュー「37歳」が危ない
 いろいろ思うことはあるが。

三浦 ますますやる気をなくすか、あるいは、がんばらねばと思うか。やる気をなくせば、「下流」が「下層」になってしまい、階層が固定化してしまうと思います。アメリカのような社会ですね。何度もいいますが、それはよくない。「負けた人間は野たれ死にしなさい」という社会は問題だと思います。

 そうでなくても階層は固定化する。ご親戚がない状態になっていくものだ。でも、「負けた人間は野たれ死にしなさい」というものでもない。
 少ない人間関係があって小銭でうまいもの(それなりに)が食えて、古典が読めて、その上、ネットがまだあるよ。