夫婦とか親子とかの活動

 今朝のエントリの補足みたいなものだが、夫婦とか親子とかの活動は明確に私的な領域なので、靖国参拝というのもそうすれば私人として明確になるでしょ、というのが一つ。
 もう一つは、靖国なりが意味を持つとすれば、個の関わりではなく、家族というか、親子の関わりの幻想の延長ではないかという気がします、ということ。
 また物騒なことを言ってしまうのかもしれないけど、靖国神社というのは「神社」という名前が付いているので神道ということになっているけど、これは、広義には儒教でしょう。貶めていうのではないけど、位牌置き場でしょう。だから名前が重視される。そして、儒教だからこそ中韓が理解というか誤解するのでしょう。彼らは鬼神を畏れるわけです。
 広義に位牌置き場というのは、位牌との関係で、それは個の関係とは違うのだろうと、これは率直にいうとなんとなく思います。以前であれば、位牌だから家長が代表でもよかったわけで、その家長が個人に見えるかもしれないけど、家長は家長。現代では家長で代表されるものではなく、家がシンボライズされるには、夫婦とか親子とかの活動でしょう、と思う。
 まあ、こっちのほうは強い意見ではないですよ。
 逆にいうと、国民という個の関わりのなかで、日本史が生み出した戦死者をどう追悼するかは、靖国の枠組みとはちと違うかなとも思います。
 へたれですが、いずれ強い考えではなく、私自身にしてみるとよくわからない。
 私の父は、その兄(私の伯父)がインパールで死んでいるので、折りあるごとに靖国参拝していたけど、私が連れらたのは子供のころではっきりとした記憶もない。そのあたりが庶民というものかもしれません。
 靖国に強い思いを持つ人にはそれなりの家の意味があるのだろうし、それはそれで彼らの勝手にする以外、現状の日本国法ではどうとなるものでもない。