朝日社説 A級戦犯合祀 昭和天皇の重い言葉

 戦中の新聞を読むような幻惑を覚える。
 今回の天皇独白は今日の昭和天皇研究から見て、おそらく正しいだろうと思われるし(想定の範囲内)、そのことが国民の心理に影響を与えるのも間違いないだろう。
 だが、昭和天皇のお心はそのように私人としての思いを国民に伝えることで政治的な影響力を持ちかねないことを誰よりも禁じていた。彼は公人としての発言と私人としての発言の違いを知っていた。天皇は実質的な国政においてはただの飾り(より正確にいえばプロセスの確認)であり、実質的な政治的な力を持ってはいけない。これは戦前も戦後も同じである。国会の手順を踏み国民が開戦を民主的に決定したとき機関としての君主はそれを否定することができない。立憲政治において君主は民意を否定することができないという枠組みがある。
 このような資料(君主の私信)が出てきたとき、国民はどうするべきか。まず、それが私人の発言であることを明確に意識し、次に専門家にこの資料を鑑定させそれがどの程度史的な妥当性があるのかという評価を受け取らなくてはいけない。一般国民にはその真偽を知ることはできないし、それゆえに専門家・学者に敬意を持つ社会としている。
 それが公人発言ではないこと、もはや靖国神社は一宗教法人であることの意味からは必然的に、個人の内面での評価をするとしても、公的な議論とすることを慎まなければならない。靖国神社という宗教法人とその信者の信仰の自由を守らなくてならない。
 あえて飛躍した言い方をすると、靖国というのは伴侶を娶り夫婦と子供で参拝すべきものだ。小泉総理にそれができないなら息子と一緒に参拝すればいい。それでいわゆる靖国問題終了する。