読売社説 [A級戦犯合祀]「靖国参拝をやめた昭和天皇の『心』」

 これも呆れた。

 90年に公表された「昭和天皇独白録」の中で、昭和天皇は松岡元外相について「『ヒトラー』に買収でもされたのではないか」と厳しく批判している。

 寺崎資料がいつのまにか史実に転換している。なんということか。

 昭和天皇は、一貫して戦争を回避することを望みながら、立憲君主としての立場を踏まえて積極的な発言は控えたとされる。その立場から、戦争責任を問われるべき指導者の合祀に納得できなかったということだろうか。

 これは議論が矛盾している。「その立場」は私人であり、公的でない。国民は原理的にはそんなことはどうでもよい。昭和天皇はその公人としてのみ評価されるべきだ。もちろん、文学的な余剰というものはあるが。

 だが、靖国神社は教義上「分祀」は不可能としている。政治が宗教法人である靖国神社分祀の圧力をかけることは、憲法政教分離の原則に反する。麻生外相は、靖国神社を国の施設にすることを提案しているが、これも靖国側の意向を前提としない限り不可能だ。
 靖国神社には、宗教法人としての自由な宗教活動を認める。他方で、国立追悼施設の建立、あるいは千鳥ヶ淵戦没者墓苑の拡充などの方法を考えていく。
 「靖国問題」の解決には、そうした選択肢しかないのではないか。

 この締めは正論。