日経春秋 春秋(5/29)

 嗚呼、野暮が止まらない。

▼「薄暑はや日蔭(ひかげ)うれしき屋形船」(高浜虚子)は日差しを避けながら船遊びできる喜びを詠む。虚子は肌を刺す紫外線に驚き、初夏を感じた。春夏秋冬とはいっても四季は判然と分かれてはいない。日本の1年は小さな季節変化の連続過程であり、だからこそ、微(かす)かな変化の瞬間をとらえ写生する俳句が発達した。
 
▼微妙な問題を議論するときに、便利な言葉がある。意見が対立する場面で「真理は中間にあり」と言い、国際会議で自分の立場を「コーシャス・オプティミズム(慎重な楽観論)」と語れば知的にも響く。が、実はともに特に考えがない場合も多い。薄暑を映像のように表現できる俳人の感性を持てれば、と思う。

 OTZ
 この馬鹿ちん、写生=スケッチと見ているわけだ。まあ、そう見られてしかたない面もあるので、馬鹿ちんというのもなんだが。
 ⇒子規の写生論

 子規の写生論は、これまでにも多くの誤解を引き起こしてきたのである。詩人伊東静雄は、芭蕉象徴主義と子規の写生主義を対比させて、子規批判の論を展開させながら次のような大胆な結論を引き出している。

彼の「写生」は、句の表面に「主観を直叙」することをさけようとすることから出発して、遂にはそれにとどまらず、芸術が芸術たる所以の芸術的直観までも排して、全然没主観的な機械的形象模倣にまでおち入つて行つたのである。(子規の俳論)

 この文は、子規自身が語っている次の箇所を読めば、明らかに誤解であると気づくであろう。

 で、子規自身はこう(↑の引用にあるが)。

 文学に於て我が美とする所はある人の説く如く理想をのみ美とするに非ず、写実をのみ美とするに非ず、将た理想的写実又は写実的理想をのみ美とするにも非ず、我の美とする所は理想にもあり、写実にもあり、理想的写実、写実的理想にもあり、而して我の不美とする所も亦此等の内に在り。
 我は宇宙到る處に美を發見せざること無く又不美を発見せざること無し。(我が俳句)

 この問題は、小林秀雄も講演で言っていたが、「生」を「写す」の「生」概念にあるわけで、視覚映像のような比喩で心象の映えのありかたを問うているわけで……。
 まあ、とはいえ、子規の写生論は純粋意識に映ずる生という感じでいろいろあって……。
 ⇒正岡子規 - Wikipedia

 短歌・俳句の改革運動を成し遂げた子規であるが、その方向性がいたずらに写実、現実密着、生活詠中心であったために、近世期以前の和歌・俳句の持っていた豊かな味わいを一方的に切り捨てる結果に終わってしまったという批判がある。特に古今集に対する全面否定には拒否感を示す文学者が多い。また俳句における子規の後継者である高浜虚子がいちはやく写実主義を否定し、「花鳥諷詠」へと方向転換して実質的に子規の俳句観を裏切ったことを見てもわかるように、子規の理論にはいたずらに過激であるだけで文学を豊かに育ててゆく方向へは向かいにくい部分もある。功罪相半ばする文学者であるといってよい。
 ただしこれは子規の生きた激動の明治期という時代の空気、歴史の流れを考えた上で彼の評価を行うべきとの意見もある。

 まあ、現状は概ねそんなところ。
 ネットなんかでは理系は利口ってかで文系はおばかみたいな感じではあるが、文系的な思考というのもそれなり馬鹿にしたものではない、っていうか以下略。