平和で富裕な時代に50年も生きていると

 本が貯まる。カネでも貯まればいいのだが、そうもいかない。
 私の場合は、本だったが、人によっては、プラレールかもしれないし、DVDとかヴィデオテープとかかもしれない。
 貯まるそうしたものは、「私」が愛着を持っているからで、「私」がいなければゴミだ。もちろん、よいコレクションというのはそれなりの社会的な価値があるだろうが、まあ、概ねゴミとしていいだろう。
 私が愛着を投影した物たちと私はそう遠くなく別れを告げるものであるし、そのあたりの区切りを少しずつつけておいてもいい。
 誰か読めば利するところもあるかもしれないというような本の期待は所詮は我執だろう。
 よく本を捨てた。また捨てた。