聖書
書棚を整理しているとこれでもかといろいろ聖書が出てくる。ギリシア語のものが5冊くらいある。げげ。この調子ならセプチュアギンタも出てくるか(わけねー)。
聖書というのを読まなくなって久しい。共同訳が出てからはまるでわからん。
中学生のときに読んでいた新約が出てきてちょっと、甘酸っぱい。
聖書はおよそ日本語の文化環境で読めるようなものではないし、所詮古代文書。十代のときは思い入れで読んでいたのだが、ああいうのがむしろアジア的な求道的なものだろうか。
二十代は人生にはいろいろあったがいわゆる宗教的な関心は次第に薄れ、三十代には黄昏、四十代以降は読んでもいない(まるで読まないわけでもないが)。
読んでいてよかったか。以前は、日本の知識人、聖書くらい読めとかほざいていたが、読まないから日本の知識人なんだろうなということで許す、でいいのか。ま、いいか。
そういえば、二十代後半からは三十代後半は、聖書的なものから西洋を引きはがすことに関心を持っていた。こんなことをいうとまたまたトンデモなんだろうが、チンギス・ハーンはクリスチャンだろう。
岡田先生に、チンギス・ハーンの天概念にはキリスト教のそれではないかと直接聞いたことがある。以前、ハザールについてそれがアシュケナジの祖先かと聞いたときのように。で、チンギス・ハーンについては、足下に否定ということはなかった。可能性はあるという含みを感じた。
もっとも、チンギス・ハーンがクリスチャンだったとしても、所謂現代日本人が思い描くクリスチャンとはほど遠い。
⇒クビライ - Wikipedia
クビライは、1215年にチンギス・ハーンの四男トルイの子として生まれた。母はケレイト部族出身のトルイの正夫人ソルカクタニ・ベキで、トルイがソルカクタニとの間に設けた4人の嫡子のうちの次男にあたり、兄に第4代ハーンとなったモンケ、弟にイルハン朝を開いたフレグ、クビライとハーン位を争ったアリクブケがいる。青年時代の事歴についてはほとんど知られていない。
というわけで直接的には書いてないが。
⇒ケレイト - Wikipedia
ケレイト(Kereid, Kerait)は、モンゴル帝国以前の時代にモンゴル高原中北部のハンガイ山脈付近に割拠していた遊牧民の部族集団である。
発祥は定かではないが10世紀に契丹の遼が南に興るとこれに服属した。遼の下で東西交易に参加していたために西方からネストリウス派のキリスト教が伝わり、1007年に部族をあげてネストリウス派に改宗したとされる。また、ウイグルにウイグル文字を学んで自分たちの言葉を記録する手段を早い時期に身につけていた。このためにケレイトの種族はモンゴル系ともテュルク系ともいわれる。
チンギスの4男トルイの夫人で大ハーンのモンケ、クビライの母となったソルカクタニ・ベキはジャガ・ガンボの娘で、オン・ハンの姪にあたる。イルハン朝下の西アジアで時期によってはキリスト教徒が優遇されるなどモンゴル王家のキリスト教徒に対する好意的な姿勢は、ケレイトの王族・貴族を通じてモンゴル帝国の王族・貴族に数多くのキリスト教徒が含まれていたことと無関係ではないと言われている。
というわけで、フビライのおっかさん、チンギス・ハーンの息子の嫁ソルカクタニ・ベキは、クリスチャンというのまでは史学的にガチ。
チンギス・ハーンの親分が、このオン・ハーン、これがクリスチャン。
オン・ハーンについて、ウィキペディアには記載がないな。
ついでに……ま、やめとこ(ほのめかしメソッド)。