竜助の死

 例えば⇒asahi.com: 「めっちゃすごい相方」竜助さん死去、紳助さんら会見 - 文化・芸能
 ショックといえばショック。哀悼。
 49歳というから、私より学年が一つ上だったのだろう。私はこの4月から49歳としておく。
 人世五十年と信長が唄ったとされるがその歳はたしか四十九。
 人間は生物としてみると、自然界では五十くらいが限界のようでもあるし、近代の平均寿命などを見てもそのくらい。そのくらいで人類の知恵をくるくる回してきたのかというのと、そこから逸脱して物を考えるというのはどういうことか、そっちの領域に自分が突入しはじめて変な感じがする。
 五十歳以降の人生というは、端的には、ルサンチマンかそうではないか、ということではないか。所謂世に成功した人間もルサンチマンが原動力というのは結局老人期そして死に至るまでルサンチマン反復強迫ということになる。人間っていうのはそういうふうに老いることは地獄だなと思うが、実際、世間というのはそういう地獄でもある。
 後半生をルサンチマンからフリーでいられるかなのだが、こうしてこの歳こいてブログ書いているような私は地獄は一定住処ぞかし、の部類だ。
 で、竜助の死。
 脳出血というのだが、高血圧か? あまり言うべきではないのだが、病歴にちょっと疑問は感じる。このことは書かない。お医者さんなら、れ?と思うのではないか。
 高円宮がなくなられたのは47だったか。そうだな。心室細動だった。これもいろいろ考えさせられる。
 西城秀樹脳梗塞を起こしたのは五十前、四十八くらいか。生き延びてよかったな。
 邱永漢が人世を観察して曰く、人(男)はかなり無茶しても50まではなんとかなる。でも、そこで無茶は続かない、だったか。ま、そんな感じか。救急医療が発達しているから一命を取り留める確率は高いが。
 で、竜助の死。
 今日は文学者の云々は書かないがってか書くのに飽きてきたが、老いがないってことだなと思う。
 人生は歳を取るにつれて体感速度が増すのでルサンチマンがなければ六十以降はけっこう対数目盛みたいものか。というあたりのところで、50のとば口が老いを廃して死ぬということなのだろう。
 私は神のお恵みあって老いていくのだろうか。というか、どこまで行けるか。
追記
 皇族のかたに失礼な誤記があり、以下のご指摘を極東ブログで受けました。ご指摘ありがとう、訂正しました。極東ブログのほうから話題に関連ないので削除しました。

はてなユーザーとして登録していませんので、こちらに書かせて頂きます。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E5%86%86%E5%AE%AE%E5%A6%83%E4%B9%85%E5%AD%90
 
お元気かと..
投稿 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E5%86%86%E5%AE%AE%E5%A6%83%E4%B9%85%E5%AD%90 | 2006/04/02 10:05:21