そういえばいつから日本人の学習という文脈で「日本語」がでてきたか

 これは日本語では、「国語」というのだ。こういう文脈で日本語とは言わない。
 たぶん、谷川俊太郎の「にほんご」教科書が出てきたころの現象ではないか。もう20年以上前か。
 台湾では、北京官話を「国語」という。
 ほんとかどうか知らないが、戦後日本で看護婦の教科に英語が含まれていたのだが、その理由は、米国のカリキュラムをそのままもってきたらしい。そりゃ、米人にとって英語は「国語」でしょ。
 で、米人が英語という国語を学ぶ理由は……事務的なものでしょ。
 基本的にこうした母国語なりの学習が存在するのは、欧州においてその各国語が常にラテン語の亜流として位置づけられていたことによる。
 のわりにラテン語というのはすでに生きた言語ではないので、みな第二言語として習得しなくてはならなかった。プラス、こうして習得される古典ラテン語というのは修辞の固まりなので、なので、学習の必要があった。
 これらの背景が現代には、その修辞の学習が残った。
 日本の英語教育でも、too 〜 to 〜構文は、so 〜 that 〜 cannot構文とか今でも教えているのだろうか。それらは文法ではなく修辞学の問題。つまり、上記のような背景の残滓なのだ。
 顧みて我が邦の国語教育だが、これが徴兵制の副産物でしょう。
 日本の国語教育というのはきわめて軍政のニーズだったのだが、実態は、不気味に文学とかに流れだしたのは、現代日本語が文芸の副産物という歴史背景がある。だが、昭和の初期までの流れをみると、これはマルクス・レーニン主義化しつつある。単純にいえば、マルクスレーニンを読むための国語教育という鬼子的側面があった。
 話は徴兵制の副産物としての国語教育だが、現代人の多くが誤解しているのではないかと思うが、いろは48文字というのを現代のそれだと思っている。あれは音の抽象化されたもののマトリックスにすぎず、実際には、各種の変体仮名があったし、変体仮名=まさに仮名文字、というものだった。
 それを現在の48文字だか字体にまとめていくのはいわば正書法の革命だったとも言える。
 ま、日本語日本語とかさわぐやつらって実際の民衆の言語史を知らないことが多いように思うが、そもそも言語の議論は、規範と記述の立場をまずわけることから始めるべきなのだろう。しかし、規範を分けるならそれこそミニマムな議論にしかならないので、この手の議論は、始めに不毛ありき、のように思える。
にほんご



著者:安野 光雅

販売:福音館書店

価格:\1,575

媒体:単行本



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