お誕生日おめでとう

 (中国製スパイウエアcnsminがしかけてあるので要注意サイトだが)⇒さるさる日記 - 勝谷誠彦の××な日々。

特別なディナーどころか毎週そうであるように夕食は抜きになるだろう。ちなみにクリスマスは収録が入っているし大晦日からお正月はまた番組かもしれない。面白いのはこういうこだわりから解放されると人生がまことに楽だということだ。クリスマスだの正月だのといった世間の行事に加えて恋人や妻や子供や友人の誕生日まであらゆる記念日を祝うタイプの人を見て私はああこの人はそうやって人生の回りに囲いを作ることで自己存在を規定しているのだなと思う。商売人どもの意向を受けてメディアはその囲い作りに懸命になる。「ただ生きる」時間をどう消費するかに血眼な人々は彼らが歌う時間のパッケージを受け入れるのである。本人たちがそれを「よく生きる」ことだと思っているならそれはそれで幸せだろうと私は眺めるのだがどうも私自身はそうしたことが苦手な性癖のようだ。

 そう言う君が僕は大嫌いだ。
 よく誤解されるが、福音書のイエスは祈るのはやめなさいと言った。代わりにこう祈れとして、いわゆる主の祈りを授けた。

われらの日用のかてを今日も与えたまえ。われらに罪を犯すものをわれらがゆるすごとく、われらの罪をもゆるしたまえ。われらを試みにあわせず、悪より救いいだしたまえ。

 日用の糧があり、我々が寛恕の生活をなし、それでもなお、襲ってくる試練と悪に我々は無力だから助けてくれと。人生とはそれだけである。ただ生きるというのはそれだけのことであり、その尊さを知ることがあるように。