日本とは…なんとなく書いのでついでにここに貼っとく

 以下、まったくの余談だが、私の日本史観をメモしておきたい。定説ではないので、トンデモ説にはなるだろう。
 日本というのは千二百年ほど前、隣国百済の滅亡を意識して唐(非漢族王朝)に対立した国家意識をもって成立した国家である。それ以前に日本列島域に諸王朝は存在したが対外的に自覚された国家とは言い難かった。
 この国家が志向した律令制というのは農本的な国家独裁社会主義であり、実態にそぐわなかった。もともと日本は多様性をもとにしていた(海洋民・狩猟民・山岳民など)。こうした多様性がなんとか統合されたのが実は源平合戦であろう。
 そうした日本国家の端緒の契機もあり、また、国家として成立した近江政権が、おそらく唐の仕掛けた内乱である壬申の乱によって攪乱され、あたかも第二次世界大戦後のGHQ支配化とその残滓の昭和史のように奈良政権は混迷を深めた。困ったことに、この時代のバックラッシュが、その後の日本のイメージを決めてしまった。かろうじて唐の眼をかすめて過去をでっちあげた国史としての日本書紀が以降、日本の歴史であるかのように日本人を呪縛していく。
 網野善彦も言っていたが、日本史というのはその言葉や生活感を伴って追っていけるのは室町時代あたりまでであり、それ以前の古代はなかなか見えない。言葉すらわからない。
 そしてこの室町時代あたりから(正確にはエポックは応仁の乱)、日本本土側は下克上という不思議な歴史体験を遂げることになった。下克上は小林秀雄がデモクラシーと再考したものであり、この歴史経験が日本を大きく変えた。日本が民族として成立したのは、このあたりとしてもいいかと思う。そして、この時点で日本はすでにアジアとは言い難い文化となった。
 下克上は、その後長い安寧のレジームを続けたが、その内面の思想運動と世界史のぶつかり合いから日本は特異な近代化をとげた。さらに、それをもってなめらかな拡張を続けた。が、生み出したなめらかな周辺の日本は、欧米との戦争によって刈り取られ、その精神は逆に鬼子となって日本に迫るようになった。