頭がいいとはどういうことか

 ⇒内田樹の研究室: 頭が悪くて何か問題でも?

「頭がいいとはどういうことか」という問いについては私には長年の疑問がある。
「頭がいい」とはどういうことかについて知っていると称する人間は、当ながら、自分は「頭がいい人間と頭が悪い人間を識別できる」ほどに頭がいいと思っているということを意味するわけであるが、彼の「オレは頭がいい」という確信には、その名乗り以外にはいかなる根拠もないということである。

 これは、客観的にわかりますよ。
 頭がいいということは、まず、ベースでは、他者との軋轢をうまない知恵があるということです。
 その基本は自分を隠すことと「外的な配慮」(グルジェフ用語)ということ。
 「外的な配慮」とは「内的な配慮」の克服からできる、多分に。
 では、「内的な配慮」とはなにかということだが、これは、「他人が自分をどう思っているかを配慮すること」。
 で、やっかいなのは、自己評価というのは他人の評価だということ。
 つまり、「他人の評価なんか私は気にしない」によっては「内的な配慮」は克服されず、さらに混迷を深めるというか狂気に至る。
 人間の個人の意識というのは他者に開かれているものなんでその本性を閉ざすわけにもいかない。
 ハイデガーの頽落議論も本質的な倒錯を含む。
 じゃ、どうするか。…。
 で、頭がいいの次の段階は、他者との軋轢を自己が介在しないように自己の利益に導く知恵があるということ。他者を争わせて自然に利益を誘導すること。
 ここでの問題は、これがなんら自覚されないでやっている天才というか、あたしンちの「春山」みたいのが人間社会には配置されていること。こいつら、どうするか。これも略。
 このあたりで、頭がいいというのは逆相になる。
 つまり、他者との軋轢を自己が介在しないように自己の利益に導く知恵を自然に行使しているやつをブロックしなくちゃいけないことがあることに気が付くこと。
 などなと。
 あと、一般的なIQとかで言えば、これはどうも生まれつき決まっている。か、あるいはメタ学習を幼児期にすませたやつ。いずれにせよ、10歳以降だとあとは努力しかない。そして、努力して頭がよくなったやつはとても馬鹿に見える。
 などなど。
 こんなエントリを書くのは頭がよくない証拠です。