このRadical Trustてのがどうも…

 話はこちら⇒FPN-ニュースコミュニティ- Web2.0的サービス提供者の資質 - Radical Trust
 概要はこう。

Web2.0的なサービスを実現しようとしたときに、まず大きな壁として立ちはだかるのはサービスを受けるユーザーとサービス提供者の間に”Radical Trust”-進歩的性善説 の関係性が既に作られているか、もしくはそのベースがサービスに組み込まれているかどうかという課題である。

 で、この性善説なんだが、道徳論とかモラルとか倫理とかじゃないんですよね。

なお上記の論点は精神論のお話ではなく、Web2.0的なサービスを提供する側の資質のお話と捉えていただきたい。

 で、「サービスを提供する側の資質」っていうのもちょっとな、と。
 うまく言えないのだが、この、はてな性善説というのは、一種のマクロ経済学的なというかゲーム理論的な概念のようにも見える。つまり、そう設定したシステムが最適解に近いというか、ノーフリーランチ定理の裏みたいな。
 ある善意がシステムというかサービスの正否を担うヒューリスティックな戦略なんだろうと。戦略というのはあくまでシステム設計でビジネス戦略じゃなくて。
 ネットの側にいる実感からすると、ダークな部分っていうのがけっこうパターン化していることで、だから、それゆえの弱点が出てきたから、こういう善意システムが可能なんじゃないか。
 あれです、ネットのダークサイドのワザが陳腐化していて、それへのマネジメント対応なんて無視してシステム対応にしていいよの部分が出てきた。
 で、なぜダークサイドが陳腐化したかというと、まさにダークサイドそのものが古い世界なわけですよ。
 ただ、逆にこの善意システム自体は、端的に言えば、さみしい人々の集まりなわけで、それ自体がダークサイドを抱えている。
 ほいで、このさみしい人々というかセットなんだけど、そういうふうに解釈を専攻せず、ある行動モデルとして見てるといいのではないか。
 例題としては、先日のホワイトバンドなんかでもそうだけど、あれってインチキっしょというのはダークサイドの運動じゃなかったわけで。
 ま、そのあたりのサービスのシステム的なモデルがどうなのかというのが、案外問われているよな。