タメの議論をしたいのではないで誤解なきようだけど

 もうちょっと続ける。
 まずこれ⇒追記: Re: id:finalvent:20050929:1127992377
 話の続きリンクはこれ⇒■それ校内暴力じゃなくて学級崩壊の話ですよね。 20:12
 で、今言うと後出しじゃんけんっぽいのだが…。

とりあえず finalvent さんの「ずばり言うわよ」がデータ的な裏付けがあって言ってるわけじゃないというのは確認できたので僕的には十分なんですが。。。

 これでもためらいつつ書いている面もあり、発端が放言なのでなお裏が気になっていたのだが…。
 とりあえず、この「データ的な裏付けがあって言ってるわけじゃない」は認めます。放言です(見ればわかると思うけど)。
 で、三点。
 (1)私はそのデータを信用していない
 (2)原理・原則論が放置されている
 (3)暴力の波及の被害が議論は外れがち
 3点目が簡単で、なにが問題かというと、私は当の暴力の子どもより学級なりの秩序が問題だと思っている。つまり、学級の治安とでもいうべきもの。
 で、2点目。暴力という権力が行使されているとき、原理・原則的にはそれを鎮圧する権力が必要になるということ。端的には、さらなる統制された暴力が必要。この場合の重要性は、暴力の統制性にある。ただし、直接的な暴力である必要はない。強制性と言ってもいいかもしれない。たとえば、暴力の子どもが一人に局所化されるなら、それを隔離するのも強制力。
 問題は1点目だが、この疑念は、私が一〇年以上も前になるが、小中学校のイジメについて調べて、当時の国が出していたデータを検討していたときの経験によるのだが。あの時、イジメ件数は低下していた。ところが、名古屋でイジメによる生徒の自殺の事件がおこり、世相の空気が変わっってから、その統計が揺らいだ。
 今回の議論で、「体罰は校内暴力の抑制にはならない」命題の裏とされるデータだが、体罰被害の報告なのではないか。つまり、統制された強制力の視点からすれば、その失効のデータにすぎない。当の命題をサポートしているとは私には思えない。が、こうした議論の枠組みがあり、そこで思考が停止し、システム論に移行するのかという感嘆のようなものはある。
 あと、私は、基本的に教育というのはシステム論ではいかない領域が大きいと思う。つまり、マネージメント論の問題。つまり、教師のスキルの問題。つまり、校内暴力をマネッジするスキル、技法が問われていると思う。そして、それは、統制された強制力が原理的に排除できないはずだ。
 その意味で。

そんな状況では体罰はハイリスクローリターンな指導法になってしまうわけで、体罰が効くような社会環境を整えるか、今の社会環境に合わせて体罰以外の有効な指導法を考えるかという話になるのでは。体罰の運用規則の整備で解決という話でもないと思う。

 という点で、意見は強く対立する。
 ま、この話に関心あるかたは、どう考えますかということでいいと思うので、いわゆる議論の正否としてはこのあたりがデッドかなとは思う。