恋愛とかに四の五の言えるガラではないが…

 ガラはかくしてエリュアールのもとを去り…ちがう。
 はてなQに、女性に思いを寄せるが言えないというのがあって…ふーむ。
 ま、よくある話だよね的になるわけなのだが。
 というか、ちょっと気になるのだが。
 あれだ、パンダ。
 パンダのつがい、というか見合い。
 ダメだったんだよね。いやうまく行ったケースもあるのか。
 で、パンダは、見合いとかさせても、ダメはダメなんで。
 人間もだいたいにおいてそれほどパンダと変わらないわけで。そのあたり、思いを伝える云々というのは、なんつうか、言語を介した階級装置的なものでしょ、くらいなもので、フツーは、だいたい無意識に決まっているわけですよ。
 「電車男」、それがフィクションであれ、あれ、実は、物語は、すでに終わっているところから始まっているわけで、別に愛を育てるわけでもなんたらでもない、ま、変な話なわなけですよ。
 ♀♂なんて、だいたい、うぅぅぅんできるかな、ってわかるものですよ。
 おめーはわかっていたのかよと言われるとギャフンなんで、再帰コールになりかねないけど。
 ま、人間の場合、意識とか、っていうか、意識=社会=打算、とかはあるわけで、それが実に意識という制度なわけで、「うぅぅぅんできるかな」は無意識にシフトする。
 問題は、その無意識とどのくらい意識が通信できるか、ということではないのか。
 そういえば。
 アメリカ人の人生相談みたいのがあって、昔読んだのだが、女が二人の男を愛している以下略、なのだが、そこでカウンセラーは実は彼女の無意識を読み取って、実は男Aは事故で病院に…という話に振ったとたん、女は、はっ!とするというのがあって、ま、そんな感じ。
 まとめると。
 1)無意識のレベルで♂♀がうぅぅぅんできるかな通信があるのが恋愛の前提。
 2)それを意識の側でどう行動するかは次の問題。
 というわけで、1)→2)はあるけど、2)→1)はないので、そのあたり、割り切ったほうがいいと思いますが。
 あ、ちょっと2)→1)はダメの補足だけど、つまり、意識の側で♂なり♀なり一方が好きだ恋愛感情だとかいっても、そこで、それは、おしまひ、ということ。
 もちろん、そこで、おしまひ、というのを納得するならそれでいいし、それはそれで意味のあることかもしれないのだけど。
 教訓1恋愛は相手あってのものです。教訓2恋愛は結局無意識の問題が基礎にあるので意識の側からすると、「縁」とでもいうような非言語的な領域の問題です。