10代の子ども…

 本紹介的にはこれ。
ねじまき小学生―ウチの子どもが小学生になっちゃった!!



著者:まつい なつき

販売:カンゼン

価格:\1,260

媒体:単行本



 でも考えてみたら、これは、ティーンエージではないね。ローティーンか。
 10代の子どもの問題というと、れいの12歳病とハイティーンの問題かな。
 12歳病についてはあれこれ語られているか私が言うべきことはないか。
 ハイティーンについては、現実世界であまり接触しないせいもあるが、ざっと見た感じでは、やはり、男の子は自分はダメだなとかそう思ってなくてもそれってニヒリズムでしょみたいな心性の印象を受ける。女子は、これは端的に言うけど、美人とそれ以外はもうはっきり自覚があるみたいですでにそれが自我の構えのなかで固着しているみたい。で、美人の子は有利かというと、私がうける印象では、疲れる環境にあるみたいだ。基本的に嫉妬の対応という社会対応をあちこちで迫られるし、美人というのは、馬鹿とそうでないのが明白に分かれるけど大抵はそれほど馬鹿じゃない。ので、周りは大人も含めて馬鹿ばかり、さらに、性的な視線にまで対応しなくてはいけない。疲れがひどいではないか(なのでそこからニヒリズムに落ちる)。それ以外系はこれは昔もそうだけどやたらとたむろ、でしょう。ま、男女に限らず、内分泌から見ても不安定なんでしかたない。
 と、書きながら、こうした局面では大人というのは、ドンキホーテよろしく愛だの希望だの子どもにぶつかるべきかな。子どももそういうのを求めているわけだし。
 私なんかからみると、ハイティーンには知的な部分でのゆがみが大きいかな。自分も17才くらいでマックス・ウェーバーとかマルクスとか読んでいたくちで、ま、そんなものがゴミといえばゴミだが、その程度の社会学的な吹きはできるものだし、ちょっとイヤミな言い方だけど、宮台真司というのはハイティーンの心性のパロディな部分もある(全部じゃないけど)。他にというと五月蠅いのでパスるけど、今の30代のカリスマ的な思想家というのはたいていはハイティーンで卒業すべき対象なわけなのに。
 で、政治的なこと社会的なことそれと理系の才能っていうのはよほど深くない問題レベルでは人生経験とかに関係ないんで、そのあたり、スコーンととずばぬける子はいる。そんなの40才前で摩滅する程度のものなんだが、それらは大人が馬鹿に見えるのでしょうね。ただ、そういう子でも、人間の大半は美人でも美男子でもない法則によって、実人生では凹むわけですよ。そのあたりの軋轢は今も昔も変わらないか、今は今なりの出方があると思う。
 なんかわかんなくなったが、私とかとかが、爺だのハゲだの言われる役回りはしないとなとは思う。言うと反発買うかもしれないけど、オレはそんな頭よくないし、ま、馬鹿だし、ま、舐めたもんだし…と言うだけの余力はあるよ…ないかな、あんまりかまわないほうがいいか。悩むなぁ。
 あ、そうだ、つまりだね、そういう回路って要するにこの日本社会の上で成り立っているわけだから、せっかく若いのだから五、六年日本を捨てたほうがいいよ。こんなドツボに安寧しているのは50才が見えるくらいでいいのではないか。
 日本の外の世界はけっこうマジだよ。もう知性も身体も全力疾走だからさ。散人先生をくさしている若香具師のどれだけがマドモアゼルを射止めるかね。