はてなQ 愛を下さい。(一番愛をくれた人ひとりにポイント)

 ネタなんだけど、なんか切ないね。
 人間、幼いころにきちんと愛を得ている人は大人になっても愛を得ることができる。逆はもう人生そのもの。なんでこんな不合理な世界なんだと呪いたくなるようなのが人生なんで、そこにあちこちに宗教の罠がある。
 たぶん、パラドックスは、愛は求めることによって得られないなにか、なのだろう。
 このあたり、愛を求める心に嘘のようなものがあるのだろう。
 それでも、人生のある時期には愛が得られるように思うことはあり、ま、なんだかんだとこの世界というのは「私」に充溢なるものを与えてくれる可能性のようにも見える。
 若いってことだね。
 歳に関係なくそういう心で「若い」人もいる。
 たぶん、愛というのはだけど最初にあるものではなく、そういうパラドックスを解体していく過程の中にはあるのだろうが、言葉というのは虚しいものだ。
 先日のアグネスチャンのダルフール紀行で彼女はタレントよろしくタレントしていてそれが悪いわけではないけど、他の援助のプロたちは淡々とプロの仕事をしていた。ただ仕事をしているだけなのだが、あれは、端的に愛なわけだ。
 nonekoさんに、なぜ私がダルフール危機に関心を持つ心情がわからないわけでもないけど的なコメントを貰った。
 無意識的には、こういうことなのだ、私は、世界のなかで見捨てられる運命にあるとしても、それはつらいな、と。そこで、私が見える世界のなかで、見捨てられる人が本当に見捨てられるだけなのだと確信したくないという…無意識の抵抗なのだ。
 世の中、愛なんてものはないと割り切るのはそう難しいことでもないのはティーンエージの子供だってできることでわかる。
 世の中、カネで割り切れるよと悟ることは老人でもできる。つまり、そう言わなければ人生は無だからだ。
 生きてみて、愛があったとわかる人生は幸せだと思うし、それが最初から与えられた人間には、私などは嫉妬を感じる。というか感じていたと青春の終わりころ気が付く。幸いにして、我が同胞のほうが世の中多いのだから、なんとかがんばって生きていこ、である。