今日の新聞各紙社説は…
主要な問題は銀行カードか? よくわからん。
ちょっと話がそれるのだが、以前は、銀行ATMの前に、なにがなんだかわからないよおばあちゃんおじいちゃんというのをよく見かけたものだが、最近、見ない。なんか、ここって山手線の電車のホームかみたいなあるいは蜜柑缶詰工場に収容された蜜柑星人たちかという感じだ。あの、わからん人たちはどこに行ったのか。
東京に戻ったとき、街の交通にトッドラーズがいねーので驚いた、というか、沖縄感覚が抜けなかった。よく見るといないわけではなく、30代の若いお姉さんが荷車付きの荷車で運んでいる。
偉そうに言う気はないが、日本の社会が、あるべき日本の人間バラエティを巧妙にフィルターアウトしているのではないか。そうした副次的な問題をパッチワーク的に直そうとしているのでないか、ちがいますか、そうですか。
それはそれとして、社説って「論理的」にみるとめちゃくなもんですなと思った。私は非論理的な人間なのだから、その命題は偽なんだけどね。
●日経社説 総合対策が必要な若年雇用
ぁぁ、この問題の解決はしごくかんたん。OECDがちゃんと処方箋を書いてます。ここでは再録しませんよ。
●日経社説 カードの安全は法律だけでは守れない
うーむ、うなる。
これも変な議論だとは思うのだが、さて、どこが変? 迷路に入りそうなので、はっと出てくるぞ、と。
カードが問題になったというのは、そういうふうに社会が変化したということ。つまり、カードのシステムが現代にそぐわないか、社会がそれを守るようにシフトするか。で、後者の社会による互助・自主安全という気風がもう日本の社会にはないのな、ないったら、ないよ、いや少しあるか、いやけっこうあるか、でも、ないといえばないよ以下正規表現風…ってギャグやってんじゃないよ。
じゃ、カードのシステムを変えましょと、日経さん。
うーむ。
うまく言えないけど、違うと思うよ。
●産経社説 靖国神社 首相参拝は日本の慣例 戦没者に敬意を払いたい
なんだかなぁ。
こんなの書くから左翼に馬鹿だと思われる。
「日本の慣例」って、「わたしはぴょーん」とルビ振るってことじゃん。
法の枠組みから国家を見つめて、この問題はどうよというそういう枠組みできちんと議論したほうがいい。それができなければ、世界という世間のお付き合いってものがあるでしょ。
なーんて言うだけ虚しいのな、産経だし。
●毎日社説 NPT閉幕 核保有国は責任を痛感せよ
うぁ、これも。予想外ではないけど、だめだめの進路を取りましたか。
この社説を読んでも、華麗なまでに日本は他人事。
米国の核の傘のなかにあってこんな社説を書く大人の常識ってどうよと思うけど、それが大人ってものですか、そうですか、じゃ、引き籠もります(続く)。
●毎日社説 輸入牛肉の評価 米国は圧力でなく協力を
一瞬、え?と思った。そう来たか。
と、一読。
あー、悪口言いますよ。
馬鹿じゃないのぉ? 安全基準の「科学」と、BSE真理追究の「科学」がごっちゃだぜ。
我々は限界付けられた存在だから、真理探究の科学に敬意を持たなくてはならない、け・ど・ね、とりあえずの限界性のなかで妥当な水準をどう引くのかというための公準として近代市民社会は科学に信頼を置いている、という意味で、妥当な限界付けられた科学的な安全基準を認めている。
というだけのこと。
●読売社説 [飲酒重大事故]「厳しく問うべき運転者の責任」
25日の産経社説と同じ。
●読売社説 [FTA]「『自由貿易』への前進が不十分だ」
一応正論なんだけど、率直に言ってだね、読売新聞がいかに都市に偏っているかということだ。
散人先生のようにハラが座ってこうした問題を断じるのは良いけど、読売の利害の構図だけでイケイケというのは、私は嫌いだなぁ。
●朝日社説 JR西人事 体質一新にはほど遠い
本来なら107人もの死者を出し、会社にも莫大(ばくだい)な損害を与えた事故の経営責任をとって、役員は総退陣するのが当たり前だ。
そうとも言える。けど、事故と関係では二次的なことだ。
なんというか、この社説も私などにはそーとー「論理的」に変。だけど、もちろん、今の世相の空気で言える? 言えっこないのであった(完)。
●朝日社説 カード盗難 預金者救済への一歩だ
なんというかちょっと言葉につまる。
盗難にしても偽造にしても、犯人と被害者のあいだの問題で、銀行は無関係な第三者という言い分だ。これまでの法制度のもとでは、この「常識」を覆すのは難しかった。
法案は、そうした銀行優位の考え方に大きな修正を迫るものだ。これまで弱かった消費者保護にかじを切る第一歩ともいえるだろう。
こういう議論の進めかたは「論理的」におかしいと思うのだよ、と、私は思う。もちろん、そんな議論をしても勝てるとは思わない。だから、言わない。こっそり日記に書く。