批判とかではないけどちょっと苦笑

 ⇒新聞への誤解、実は変えるべき体質 [ブログ時評22]
 要するに
 (1)新聞社は特ダネ記事だけは昔からネットに出さない。
 (2)ネットの記事は新聞より遅らせる。
 (3)基本情報をきちんとフォローしない新聞は問題。
 苦笑というのは…
 外信についてはすでに国内紙の意味はなし。
 国内の通信社外の、新聞社特ダネだが、それってそんなにないでしょ。また、特定社の特ダネで、しかもそれがネットに出ないということは、すでに記事としてたいした意味なし。
 ちょっと方向が違うがNHKのニュースのほうが報道社や新聞より優れていたりする。
 基本情報については、まさに、それがネットで補われうるもの。つまり、時系列に読み直せるのはネット、というか、ITならではの機能。つまり、そのインタフェースが重要。という意味で、Yahoo! Newsはよくできている。
 さらに、その部分こそ、ブログが重要になる。
 とはいえ、新聞対ブログという枠組みはどっちかというと不毛。ブログは、その一面ではあるが、社会の問題を考える市民の発言の場ということ。これを従来は新聞は包括(統制)しようとしてきた、が、それはもうできない時代になりました。
 ちょっとむりめにまとめると、つまり、新聞に求められているのは、それが社会にあってどういう意義を持つのかという自己の存在認識。それを的確に自覚するためには、どう紙面を使い、どうネットを使うか、というふうに問いを立てて行かなくならない。つ・ま・り、紙面は紙面、という閉鎖的な問いかけがはそれ自体が基礎を失っている。
 あと、くどいけど、繰り返すけど、新聞紙面の1/2は広告。新聞とはチラシ広告を挟みこむ広告紙。1/4は通信社と同じ。1/4は解説記事だが、これは理想的にはブログなどで補えるようになる。