無縁仏…

 彼岸のおり久しぶりに墓地を見回したが、無縁仏というか契約の切れた墓石の整理が進んでいた。こんなにそそくさとやっては墓所の意味にもなるまいというか、ちょっと奇妙な恐怖感のようなものも感じた。
 テメーの死骸など河に放れと言った親鸞のごとき心情もないわけでもないが、歳とともに薄まりつつある。ま、百名の海に散骨してくれと思うが、自分の死というのをきちんと見つめることも恐い。
 公共の墓地ならここまで無縁仏の整理もしないかとも思うがそうでもないだろう。
 というか、墓とはまさに「家」なのだと思う。なになに家というのが出るのは、結婚と墓くらいなものだ。というか、日本社会とはそういうものだった。
 自分なぞ、なんとかあと20年も生き延びれば、団塊世代のくたばり方の道筋に沿えばよかろうとも思う。
 ま、現実問題としては、父親の墓に母親を納めるくらいのことをしてから死ぬという手順にしたいものである。