共同幻想、対幻想、自己幻想…

 吉本学的には幻想領域ということなのだが。
 しかし、これらは意識、つまり自意識から疎外された対象でもある、という意味で、
 共同幻想としての他者(国家=宗教=神)、対幻想(恋人・子供)、自己幻想(セルフイメージ)としての他者という意味で、単純に、それらは”他者”としてくくれるものではないか。
 そして、幻想性というのは、その”他者への欲望”ということではないか。
 話は、がちょーんと飛躍するのだが、対幻想としての他者への欲望が形成できない社会がなぜ出現したかという問題ではないのか?、つまり、昨今の問題の基底構造というのは。