切込隊長BLOG(ブログ) - 「各論全員否定」の社会学

 良いエントリなのだが、ちょっと複雑な印象も受ける。批判というのではないが、こうした事態を個人の位相で見る場合と社会の位相で見る場合とは違い、後者を前者に還元しないというのは、ある意味で社会学の暗黙の了解。
 その意味で、山田の議論などは、社会学的に有効だし、その議論に批判されるべき点があれば、その方法論に乗っ取ってディテールから行わないといけない。
 ま、大筋でいうと、「希望格差社会」というものは明確にあり、それに個人で対応できることでもない。先日のNHKの番組でホリエモンの活躍は面白くはあったしああいう番組だが、社会人として受け止めれば娯楽以上のものではない。
 このエントリのコメントでちょっと気になったのだが。

20.名無しさん(2005-04-10T06:31:09+09:00)
つまらん。データの裏づけもとらず、関連領域のリサーチもなしに長文を書くようになったら終わりだな。最近特にこういうエントリーが多い。手を抜いてるだけだったらいいけど、視野自体が狭くなってたら手遅れ。

 これはまさにそうで、だから、私なんど手遅れどころかお陀仏にあると見られている。その件に、弁解など私はないのだが、ブログの枠でみるとそういうことでもない。というか、そういうことでもない社会機能としてのブログが問題でもある。
 うまく言えてないかもしれないが、厨を自認している男でも、35歳のヤマを越える日は来る(40歳かもしれない)。大人になるのだ。女と子供と社会になんであれ見切りを付け、その見切りを出すか隠すか、あるいは大人になるか厨を止めるか、あるいは厨を演じるか。ありげな、厨を演じても、「せんぱーい」とか言う声を受け止めていかなくてはならなくなる。
 話を変える。

レストランで働いているとき、フロアボーイである私はよくぞ客の中高年男性に声をかけられた。何かの懇親会でも知らない人ばかりの状態で父親ぐらいの年齢の人たちと話さなければならないことも多々ある。住んでいた家でも回覧板を回すときや町内会の催しで挨拶以上の会話をすることが多かった。私は、社会とはそういうもんだと思っている。

 社会とはまさにそういうもんだ。
 多分、ブログもそうした社会の一面はある。
追記
 この項、たしかにボロボロな話なので、コメント欄をご参照あれ。