そういえば…2…

 このところいつになく人と長く話すということがある。話が嫌いなほうでもないのだろうからなのだろう、結果として。ただ、そうした云々はあまり考えない。
 街行く多数の人とも、ま、それがフツーな人ならなにかしら話すことはあるのだろう。
 そうした延長にブログなりがあるのだろうか。
 と、ここで話がずこっとずれるのだが、自分が48歳とかになってみると、人生のいろいろな岐路というか選択が不思議なものに思える。
 世間では勝ち組・負け組とかいうし、ま、それは端的にカネの有無でもあるのだろうが、カネなんてシャバとともに消えていくものでもある。で、いい悪いとかじゃなくて、結婚する人しない人、子供のある人ない人…それってなんだろう、どのようなチョイスなんだろうと不思議に思う。
 もうちょっと言うと、というか、言うべきことでもないのだろうが、今日の文春だったか新潮だったか、どっちだっけ、中高年の性の話があり、ま、中高年になりセックスがどうみたいな、考えようによってはまいどの話、考えようによって、各人のまさにプライバシーというだけのことだが、ま、それはさておき、その歳こいて、せっせこセックスしている人しない人がいる。
 そうした違いというのはなんなのだろう。答えがあるわけでもないし、カネの因子もあるだろうが、案外、カネとか勝ち負けとはあまり因子でもないようにも思う。
 若い人は(あるいはある程度の歳でもそうかもしれないが)異性にもてる/もてないってなことが気になるものだが、しかし、もてる/もてないってのも、結婚、子供、セックスとかにはあまり関係がない。
 ふと思うと、人間も生物なんで、社会性以前に生物的なものだが、その次元での行動様式の要因の、そう少なからぬものがいわゆる社会要因でもなさげに見えるのはなぜなんだろう。
 広義の社会要因、教育・家庭環境まで含めると、強い因子ではあるかもしれないが……そうでもないようにも思う。
 じゃ、何?
 案外、生き方ってものかな。ただ、その生き方っていうのは、人生論!とか言葉でできているもでもないだろう。結婚したい、子供がもちたい、定常的にセックスしたい…といったものの価値性みたいなものはとくに声高に言うものでもない。
 ただ、各人が、たぶん、20代の後半から30代の半ばくらいで、そうした部分にある生き方の選択をしていて、それが、50歳近くなると、引き返せない結果とはなるのだろう。