父母未生以前、本来面目

 私は道元の徒であり、公案禅を嫌うものだが、今日、某所にて、ふと、無門関二三「父母未生以前、本来面目」が解けた。不思議な感じだった。これをどう言葉で言い表していいのか、なるほど、公案でしか言いえないものかと思った。
 以前、これも自然に「両掌相い打って音あり、隻手に何の音声かある」が解けたときは、なーんだと思ったが、「父母未生以前、本来面目」はなるほど、難しくて当然か。
 こういうところに悟りの階梯を見る危険は確かにある。しかし、なるほど、、「父母未生以前、本来面目」とは伝えにくく、しかし、禅の奥義ではあるなと思った。