産経社説 大学生の学力低下 国語教育の充実が急務だ

 子供には、子供にふさわしい文学作品がある。それに親しむことにより、教養が自然と身についていくものだ。「読書百遍意自ずから通ず」ということわざがある。少し難しい作品であっても、いい文章は繰り返し声を出して読ませるべきだろう。

 子供に相応しい文学は時代とともに変わる。また、それに親しむことは素読ではない。というか、この段落が変だ。
 隠して斎藤孝のようなものが増えていく。くだらない。
 日本語とは歌の言葉だ。歌とは、相聞、挽歌、そして雑歌だ。雑歌とは、明治近代日本の文学が大間違いをこいているが、政治の歌のことだ。自然謡みたいなものは、宗教を迂回して出てくるものだ。であれば、その宗教性とは相聞・挽歌を経て生まれてくる。もちろん、歌には技芸の側面もあるが。
 相聞があり挽歌のない世界に歌はなく日本語はない。そういうものだ。