ウェーバーを百回嫁

 と言えば、冗談みたいだが、普通百回くらいは読む。そんなに変なことじゃない。
 理解するなら、十回でいいし。解説付けるなら五十回でいい。
 じゃ、なぜ、百回読むのかというと、海馬までウェーバーになるためですよ。この世界がウェーバーのように見えるようになるまで。もー、悟りの境地ですな…って宗教社会学の全体を百回読んでいるうちに人生はおしまい。でも、ハンチントンなんか読むよりましかもよ。
 大塚学のある内は学生はプロ倫を百回くらい読んだもの。大塚先生の後光ですな。
 で、問題は、あそこから、古代ユダヤ教へなんだよ。というのは、プロ倫も、宗教社会学もつまるところ、古代ユダヤ教なんだよ。ま、実証学的にも、聖書学的にも、古すぎなんだけど、あのオーケストラのような、トリスタンとイゾルテのようなウェーバーの爆発が、近代世界の意味を暗示しているのだけど、ま、どうでもいいや。
 現代のクリスチャンは旧約聖書、きちんと読んでいるのだろうか。
 なんだかんだって行っても、米人は、日課で、一年かけて旧約を全部読むという人が五万といる。私も思春期に一年かけて、日課で旧約全巻読みましたよ。もちろん、たらーっと読んでもわからんないけど、なにかはわかる。そのなにかを手がかりに、今度はまた読む。
 と、ふと思うのだが、日本の知識人は、聖書全巻、ちきんと読むっていう経験してないのだろうな。ま、どうでもいいや。