ポストモダンにはまるほど頭が良くなくて本当に良かったなー

 僕がこの本を読んで思ったことは3つ。ひとつは、中高時代、ポストモダンにはまるほど頭が良くなくて本当に良かったなー、ってこと。これは真剣にそう思った。時間の無駄である以上に、考え方の考え方にかなりのダメージを被っていた可能性がある。あーバカでよかった。
 ふたつめは、数式がちゃんと読めたり、背景にある知識を理解したりすることは本当に重要で、そうでないとかなり危険だな、ってこと。最初のラカンの項で出てくる「コンパクト性」に関する注釈が、ラカンが書いた文章と同じくらい意味がわからなくて笑ってしまった。僕の場合、経済学の話を読むときに表面的な理解で済ませてしまっていることがよくあるので大いに反省。気をつけよう。

 爆笑。禿同。
 ラカンを読むまえに、ちゃんとフロイトを読むべき、なんだけど、なんとなく現代人は、フロイトをちゃかして終わりにしてしまうのだよな。フロイトを読むということは、近代史を読むこともであるし、西洋の根幹の風俗史を読む必要もある。あ、必要ってことはないか。
風俗の歴史 1―完訳 (1)

 ちゃんと復刻してんじゃん。
 そいとだ、フランスのポストモダンって、表向きはコジェーヴではあるのだけど、実際にはサルトルだし、シチュアシオンなんわけですよ。それが日本では、全共闘に矮小化してしまう。
 問題は、ハンガリー動乱まで遡らなくてはならないのだがって、極東ブログじゃないので、おしまひ。