降りる自由?

 ネットを見ていると「降りる自由」というのが議論されている。なにが問題なのか、さっぱりわからん。歳か、と、毎度のように思う。なにかアキュートな問題に、「オレ、降りるわ」っていう権利のようなものだろうか。ということなら、全然、問題にもならん。降りられる人は降りたらいい。それが大衆っていうことだし、って、「大衆」って言うなか。ま、いいや。知識人というのは状況の課題に降りられないっていうのが前提。それは、もちろん、フィクシャスに見えるのは当然。っていうか、そんなこたぁ、吉本が70年代に結論を出したことじゃんか。知識人のそういう知のあり方がどれだけ大衆の原像に拮抗しえるか。そういう課題に転換される。っていうか、降りる自由、みたいな問題は、降りられない問題に噛み合わない。
 これは、吉本用語では「不可避」だ。逆に言えば、除けられる弾は除けちまいな、ってこと。それをあらためて「降りる」っていうのかもしれないが。