毎日社説 社説:2010 再建の年 発信力で未来に希望を - 毎日jp(毎日新聞)

 新(あらた)しき年の初めの初春の今日降る雪のいや重(し)け吉事(よごと)
 
 万葉集の最後を飾る大伴家持の歌だ。因幡鳥取県東部)の国守だった家持が元日の宴を催した時のもの。豊年のしるしとされた元日のめでたい雪のように、よいことが続くようにとうたった。内外ともに難題を背負って迎えた新年、私たちも「いやしけよごと」と願いたい。

 たぶん、執筆者はこのときの大伴家持の思いを理解していない。
 これは天平宝字3(759)年、旧暦正月(春節)の歌。
 背景は橘奈良麻呂の変。
 天平勝宝8歳(756年)、奈良麻呂は家持の従兄弟大伴古麻呂に変の参加を求めるが拒絶。が後、古麻呂は天平宝字元(757)年に嫌疑・拷問で絶命。その後、家持自身は藤原良継藤原仲麻呂暗殺計画に参加。
 この歌はこうした渦中にある。
 というか、そうした政治背景もあってここまでしか家持の私家集としての万葉集として歌が存続できなかったという歴史の墓標のようなもの。

万葉集が編まれた奈良時代の都、平城京は1300年前に誕生した。東大寺はじめ多くの寺社が姿をとどめる大和の風景は、現代人の心に潤いを与えてくれる。奈良県内ではことし1年を通じて平城遷都1300年祭が行われる。当時を振り返り、現代的な意味を探ってみよう。

 当時の政権内の動乱を無視して毎日新聞の執筆者は「当時を振り返り、現代的な意味を探ってみ」るから以降の話がめちゃくちゃになっている。

 奈良時代は日本の歴史上、最も国際的に開かれていた時代という。僧1万人を招いて行われた東大寺大仏開眼(かいげん)供養(752年)では、大仏に魂を迎え入れる大導師をインド僧が務め、唐、ベトナムなどの僧も重要な役目を担った。各国から多数の僧が訪れていた。新羅渤海はじめ各国との交流も深く、奈良はアジア・西域文化の集積地だった。

 そもそもなんでこんな巨大な呪物を国家が形成せざるを得なかったのか(しかも聖武帝の奇妙な遷都やその後の道鏡事件も)という視点がなく、国家繁栄みたいな話にしている点が痛い。

最後に強調したいのは文化の発信力だ。奈良時代、先進文明の吸収に励んだ人々は同時に独自の文化も創造していた。万葉集天皇、皇族から防人、東国の民に至る幅広い作品を集め、今も愛唱されている。伝来の漢字を用いた「万葉仮名」は後のカタカナ、ひらがなにつながった。
 私たちは豊かな伝統文化を持っている。

 万葉集が今日残るのは仙覚律師のおかげ。
 きちんと万葉集を歴史の文脈で見れば、当時の日本の動乱の内情を暗示するとんでもない歌集であることはわかるだろうと思うが、明治以降正岡子規のせいもあって、なんだか古代の優れた歌集のような評価になってしまっている。中華圏において、詩歌とは政治であるのに。
 「私たちは豊かな伝統文化」を持っているのではなく、偽装された暗い歴史を持っている。

読売社説 「ニッポン漂流」を回避しよう 今ある危機を乗り越えて : 社説・コラム : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

 昭和恐慌時の高橋是清蔵相、アメリ大恐慌時のフランクリン・ルーズベルト大統領のように、不況脱出のためには強権発動も辞さず、の断固とした政治意思を市場に示す必要がある。

 前者はリフレ、後者は違うかな。

朝日社説 激動世界の中で―より大きな日米の物語を : asahi.com(朝日新聞社)

 具体的に日米同盟をどうするのか(どういう軍事同盟なのか)、普天間基地移設問題をどうするのか(県外移設をどう堅持するか)というのが皆目わからなかった。