今日の大手紙社説

 少し熱く書いたけど、朝日のへたれにはまいった。左派とか平和勢力ってこんなものなのか、あるいは、もっと狂信的に振り切ってしまうのか。
 なんだかんだ言っても、小沢が演じてくれるからこうした問題が可視になる。そして小沢の言っていることだけ読んでいけばきちんとスジが通っている。ただ、現実はそうもいかないというへたれはある。
 でも、原則がわかっていてへたれがあるのと、へたれがのために原則を曲げるのは全然違うと思う。

産経社説 新テロ法参院審議 民主の政権力が試される

 これもどうでもいいんだが。

 今回の大連立論に世論は否定的だが、二大政党が重要政策を協議することは圧倒的多数が支持している。

 重要政策はいくつか構造的になっているので、ある程度恒久的な機関化する可能性もある、という意味で、「大連立」とさして違いもない。「大連立」という空声のマジックにどうしてここまで空気が反応するのかいぶかしい。

読売社説 株今年最安値 円高が増幅した東京市場の下落

 ぼわんとした社説なのでスルーものなんだが。

 厳しい財政事情が続き、金利も極めて低い水準にある。そうした中で、市場の不安心理をいかに鎮めていくか。政府・日銀に突き付けられた課題である。

 この結語は変な感じがする。というか、結語になっていない。
 大きな結論からいえば、日本人が消費しないといけない。飛躍するが消費とはようするに生活のアメニティであり、住居の拡大がかかせない。その構造を変えなくてはいけないのに。

朝日社説 給油新法 接点を探れぬものか

 うわあ、朝日がへたれ出した。昨日のNHKの世論調査を見ても、世論は意外と民主に風あたりがきつい。小沢の今回の評価もそれほど高くなく、「大連立」にも踊らされている。その意味ではナベツネの勘はちと狂ったくらいだったのかもしれない。

 世論は割れている。朝日新聞の調査では、給油活動再開について「必要だ」が43%で、「必要ではない」が41%。ほぼ互角である。活動停止は日本の立場に悪い影響があるという声が50%だった。

 世間の空気だな。

 給油は一つの選択肢かもしれない。だが、6年も続けてきてアフガン情勢はむしろ悪化している。燃料がイラク作戦に転用された疑惑は晴れず、情報を防衛省が隠蔽(いんぺい)した疑惑まで飛び出した。このままでいいのかどうか、立ち止まって考える時期である。

 そして朝日がへたれ線を張る。

 まずイラク戦争支持や自衛隊派遣の誤りを総括し、自衛隊イラク完全撤収を前提にアフガンを考える。そうでないと日本が果たすべき役割は何なのか、原則に立った議論ができないからだ。

 まいどの朝日なんでそういう自縄自縛はしかたないが、どうもイラク戦争支持の問題より、戦後統治と見る余地は大きい。なのでここでこだわって神学論争をしても無意味だ。つまり、端的に言えば朝日新聞は低能、放言だが。
 だが、原則とは憲法なのだ。朝日は憲法をまるでご都合よく空気で忘れている。

 その意味で、参院でのイラク特措法廃止をめぐる論戦に注目したい。

 まったく違う。特措法なんかもう終わったのだ。小沢が「大連立」のオファーを飲んでもいいかもしれないと思ったのは、戦後の歪んだ憲法解釈をただせる可能性を見たからだ。
 日ごろ憲法擁護だの9条が大切といっている左派・平和勢力みたいなものが、世論の空気に迎合して憲法の大原則を失っていくこのへたれ具合はなんなのだろう。

 同時に、与野党にはアフガン支援のあり方について具体策を詰めるよう求めたい。何らかの貢献が必要だとする点で接点はあるのではないか。大連立の話とともに、与野党の建設的な政策協議まで消え去ってよいというものではない。

 ここもまったく違う。アフガンの支援とはなにかがまるで朝日はわかっていない。小沢はそこを理詰めで解いて総スカンをくらった。また、なぜNATOがアフガンで苦戦しているか、そこまで朝日がわからないわけもないと思うが。つまり、これはNATOというか旧西側の軍事的な問題がある。
 私はこの件については、理路整然と小沢がやはり正しいと思う。ただ、私もへたれるが、現実が小沢の理念に合うかどうかは別だし、小沢も民主党に問うて、ダメなものはダメと折れた。その意味でへたれに折れなくてはならないことはある。
 でも、朝日のへたれの本質は、実は憲法の無理解にある。

快晴

 等圧線が込んでいて風が強くなるのかと思いきや逆で、秋晴れになる。というか冬に向かっている。今年も茸狩りとか行かなかった。街中はもうすっかりクリスマスだ。
 市場が混乱している。このまま混乱が続くのか。へぇみたいな感じはある。実際に自分の側にも損が回っているのだが、なんか慣れた。世の中金儲けのうまい人は今頃買い物をチェックしていてその人達がそのうちどっと動き出す、小さな昆虫みたいに。
 昨日届いた古書が変な臭いでというかアルゲンぽくてまいった。たばこ臭い古書もけっこう苦手だ。そういうことで捨てる古書もある。
 昨晩だったか夕方twitterをして、まあ、気軽にアレげな発言(率直に言えば実験的思考)して、まいどまいどのヨブ記の問題を考え、そして散歩して考え続け、空を見上げて、「つまりは被造物というか」とまた腹にずしんと来た。言葉で言えば大したことではない。なぜ私たちに、あるいは「私」に不幸があり、悲惨があるのか。この問いを問い詰めていけば、「なぜ私は存在するのか、存在しなければいいのに」となる。実際、ヨブは母の胎を呪った。神の答えは、「お前は被造物だ」である。またしても「お前を作ったのは私だ」ということだ。ここで微妙に存在と意味が乖離する。が、存在の根底は(ティリヒが言うように)神によって支えられている。
 腹にずんと思うには思うし、自分の人生の根幹というか存在の根幹において、そういうものだと思いつつ、秋風に忍び寄る愉快な悪魔たちに「それでいいんかい?」「おまえらも被造物?」と問うと、けらけら笑っている。「バカだな、お前あいつが神だと思ってんの?」とかいう。悪魔はなかなか仕事に熱心なものだ。私もなんとなく笑い、ぞっとするほど孤独を感じた。

今日の和み

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